知っておきたい哲学の常識(34)─現代篇(4)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
動物は考える
動物ドキュメンタリーが一部の人のあいだで人気があるという。そういう私もここ数年多く観ている。動物に人間の反映をみるのか、ただ単に可愛いとか美しいとか思いたいのか、とにかく人間のドラマよりも落ち着いて眺められ、自然界のことがよくわかって面白いのである。
こうしたドキュメンタリーを制作する側の態度はまちまちだが、欧米産で多いのはライオンなどが獲物を追いかけるハンティング物で、そこではやたらに「殺す」という語が使われる。動物の残虐性を強調し、人間はそこまで残虐ではないとでも言いたいかのように。
日本の動物ドキュメンタリー作家として名をなした羽仁進(はに・すすむ)が、かつてこんなことを言っていた。「欧米のドキュメンタリーは動物どうしの争いを撮ったものが多いんですよ。でも、実際の動物たちはもっと平和に暮らしているんです。異なった種の動物たちが同じ地域に調和を保って生きている。僕はそういう動物たちの姿を撮りたいですね。」
なるほど彼のドキュメンタリーは、動物の平和な日常と共生の姿をとらえたものが多い。
しかし、欧米のドキュメンタリーも、最近になって大きく変わった。動物の残虐性を強調するよりは、その賢さや巧妙さ、知性や思考力のほうに重点が移ってきているのだ。クジラやイルカ、タコのドキュメンタリーはもちろんのこと、鳥類のドキュメンタリーにもその傾向が現れている。人間だけが優れているわけではない、彼ら動物たちには人間には考えられない能力が備わっている。そういうメッセージが伝わってくる。
この変化は、制作者の側に最新の科学的知識を取り入れようという意識が生まれたことによる。ナレーションも扇情的ではなくなり、過度にロマンチックでもなく、平静な科学的記述に近いものとなってきているのである。好ましい変化だ。
動物に関する科学も大きく進歩した。今や高度なIT技術を用いてその認知能力やコミュニケーション能力、さらには記憶力の問題などを追求している。動物を扱う科学者たちは、動物も人間も同じ生物であり、それぞれに異なった方法で環境に適応するための最善の努力をしていると見ている。
こうした科学の進歩は大いに歓迎すべきものである。人類はほかの生物から孤立しているなどといった傲慢な態度は、もう終わりそうに見えるのだ。だいぶ前にノーベル賞を受賞した生化学者のジャック・モノーは、「人類はこの宇宙で孤立している」などと言っていたが、とんでもない生物観だと思われる。人類は決して孤立してなんかいない。この地球だって月ばかりでなく、他の惑星とも連携して太陽系をなしているではないか。
今からおよそ90年前、動物と人間を同じ物差しで見た生物学者がいる。ロシア出身のヤーコプ・フォン=ユクスキュルである。その著書は日本語訳もあるが、この人の創見はいまだに色あせない。
フォン=ユクスキュル曰く、ダニも考えている。ダニの思考は単純で、あるものが餌になるかならないかの判断しかないのだが、それでも外界の刺激を記号化してとらえ、その記号から判断して行動している。だから、考えているというのだ。
「そういうのを考えるっていうのか?」と疑問をもつ人もいよう。しかし、外界を記号で捉え、それを基に行動するのは私たちが日常行っていることで、私たちの大多数の行動はそういう思考過程の上に成り立っているのである。路上で信号機を見て、止まったり前進したりするのは、私たちの日常的思考の産物ではないだろうか。
もちろん、人間の場合は言語をもっているので、そのような原初的な思考から逸脱する。その逸脱によって思考は抽象的なものになり、宇宙を考えたり、数式をつくったり、哲学したりする。しかし、そういう人類の道が自身を迷わせ、破滅の方向に導く危険があることも知っておくべきだ。原爆など、すぐれた頭脳をもつクジラやタコでもつくり出せないのだ。
動物ドキュメンタリーはこの観点からも重要である。人間が自分の原点を忘れないようにするのに役立つのだ。動物たちの感性は人類が失ったものが多く、そうした優れた感性をもつ彼らのおかげで私たちの生活は安定している。私たちは孤立しているどころか、彼らの世話になっているのである。
ところで、サハラのアリは、風で砂漠の地形が変化するにもかかわらず自分たちの巣に戻れるという。これを研究した人は、アリが歩数も含めて自分たちの歩行過程を覚えていることを明らかにした。アリは身体にコンピューターを蔵しているのだ。
ネズミが三角形とか円とかの図形をはっきり認知していること、ミツバチが見事に計算された美しい巣をつくれることなど、動物には驚くべき能力が備わっている。彼らの数学は人間のそれと違って意識されることがないという人もあるが、私たちだって知らずに数学をしていることが多い。意識すれば、かえって本来の数学から遠のくこともあるのだ。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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