2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(35)─現代篇(5)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

社会は神さまです

社会は神さま イメージ

    キリスト教神学には、神の定義として「超越的にして内在的」というのがある。神は人間より偉いのだから、超越者である。しかし、神は私たち1人ひとりの心のなかに宿っているから、内在的でもある。

 源実朝(みなもとのさねとも)は「神といひ仏といふも人の心のほかのものかは」と言い切った。彼には内在的な神はあっても、超越的な神はなかったようだ。すべてが心の問題ならば、神を拝む必要などなくなる。キリスト教会にとって、こういう考え方は困るであろう。超越者としての神は必要なのだ。

 教会だけでない、自分を超える存在がなくなれば、人はとてつもなく不安になる。親は子を超えていなくてはならず、子はそうでないと親を頼れない。

 日本で社会学といえばマックス・ヴェーバーが有名だが、それは日本近代の学問がドイツに傾いてきたからである。ここに登場するデュルケームは、フランス社会学の祖である。

 そのデュルケームはユダヤ教のラビの子であったが、父の宗教を受け継がず、人間社会を研究し、社会こそが人間にとっての神だと理解したのである。彼にとって、社会は1人ひとりの人間の上に立ち、同時に1人ひとりの心のなかに住んでいる。だから、社会は「超越的にして内在的な」神なのである。

 そんなばかな、私は1人で生きている、と強がる人もいるだろう。私は社会の奴隷になりたくない、社会など気にしていては何もできない、そう言いたい人もいよう。彼の国フランスでは、そう言いたがる人が多い。

 しかし、デュルケームはいう。「そう思いたい気持ちはわかるが、あなたがたが使っている言葉ひとつをとっても、それが社会からきていることは否定できない。あなたが今しゃべることができるのは、社会があるからなんです」と。

 「そもそも、あなたは自分1人で生まれてきたわけではない」と彼は続ける。「親に育てられたとすれば、その親が社会のいうことを聞いてあなたを育てたからであり、あなた自身だって、学校で社会の声を聞かされて育った。もしあなたが社会に反抗したくなるなら、それは社会があなたに反抗することも教えてくれたからです」と。つまり、すべてが社会なのである。

 デュルケームはフランス人で、しかも20世紀の人である。フランスといえば個人主義の国だ。そのフランスで、よくもそんなことを言えたものだ。

 しかし、彼に言わせれば、フランス人の個人主義は個人というものを社会から教わって生み出されたものである。人は社会あって初めて人となり、その後で「個人」というものを学ぶのだ。

 彼の発想は人間の現実に即している。アヴェイロンの森で見つかった野生児は、いくら教育しても人間の言葉を覚えることができず、ついに人間になれなかった。人間になるとは社会化されることなのである。

 では、個性とは何かといえば、生まれつきの資質が社会化されたその結果であるというのが本当だろう。たとえば、あの人の日本語は個性的だというとき、その人が日本語を話さなければ個性も何もあったものではない。社会化とは社会を自分の身につけることであり、それによって初めて人は個性を発揮できるのだ。

 デュルケームの言ったことで重要なことが2つある。1つは社会と国家を混同するな、である。近代は社会をまとめ上げる宗教がなくなり、国家が強大となって社会生活の隅々までコントロールする時代である。これは社会にとって大変危険で、国家が強くなると人と人の横のつながりがなくなると彼は危惧したのだ。そうなると、人は人になりきれなくなり、人類社会は崩壊すると。

 もう1つ彼が言ったのは、小さな仲間組織をつくって育てよということだ。関心を共有できる人と人のつながりを強め、それを守りぬくことが大切だと言ったのである。会社にしろ、クラブ組織にしろ、その意味で重要である。そのような小組織がたくさんある社会こそ安定し、国家による過度の介入を防げるというのである。

 近代史を見ると、人と人のつながりを大組織が壊していく様子が見てとれる。町内会といいながら、それは市役所のための下部組織になり、本当の意味での町内会ではなくなる。その市役所は都道府県庁の下部組織、都道府県庁は政府の下部組織というふうに、すべてが一元化されるのである。

 企業にしてもそうで、何でもかんでも合併して大きな組織をつくろうとする。そうなると、中小企業は倒産か大企業の傘下となるほか選択肢がなくなる。中小企業とは資本規模が小さい企業というだけではない。働く人どうしのつながりのある企業を意味する。そういう組織がなくなれば、社会という神は死ぬのである。

 デュルケームが「社会は神だ」と言ったのは、国家が社会を殺してはいけないという意味でもある。国家自らが神になったら、人は人でなくなるという意味なのだ。国家には人と人のつながりはない。「社会を国家から守れ」と言いたかったのである。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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