2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(40)─現代篇(10)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

空気膜

風 イメージ    国によって空気の密度がちがうようである。アインシュタインの時空論は規模が大きすぎるので話にならないが、町によっても空気の密度は異なり、あるいは家庭ごとに異なるのかもしれない。

 空気の密度は外の世界への開放度と関係するのかもしれない。これが物理学的に証明できるものなのかどうかはわからないが、高校時代にアメリカ留学をした友人が言っていた。

 「フィラデルフィアに2年いて、それからニューヨークに行ったんだ。そのとき感じたのは風だよ。あそこは風がどこかから吹いてくるんだ。それで息ができるんだよ。フィラデルフィアでは感じたことがない。まるで風が吹いていなかった。」

 ニューヨークでは毎日100以上もの言語が耳に入るという。外の世界への開放度が極めて高い。だから、空気がよどまない。逆に、フィラデルフィアは開放度が低い。空気が重くのしかかって感じられるのだそうだ。

 平壌に行ったことのある新聞記者が言っていたが、あそこも空気が重いそうだ。息苦しいと言っていた。政治の圧力が気圧にも影響するのだ。

 心理的圧迫感が物理量に換算されて身体にも影響するという理論はまだ聞いたことがないが、ソウルの空気が平壌のそれより軽いことは間違いなさそうだ。

 物理といえども心理とは無関係ではあり得ず、社会関係とも無関係ではあり得ず、政治の在り方とも関係するにちがいない。科学者はもう少しそういう方面に知恵を働かせてもよいのではないか。複雑すぎるなどと怖気づかずに。

 日本の空気は非常に軽い、というより軽すぎて酸素が足りない感じがする。ある女子大生のつぶやきを思い出す。「日本って透明なプラスチックの気球ですね。透明だから、外の世界がよく見えるんです。それに、初めは自分が気球のなかにいるのかもわからない。ところが、外の世界へ出て行こうとすると、なにか膜があって出られないんです。」

 「空気の膜?」と私が尋ねると、彼女は頷いた。「薄い膜のようなんですが、破れません。つよく押し返されるわけじゃないけど、出ていけないんです。あ、これ、透明な気球なんだって、そのときわかるんです。」

 しばし黙った彼女は、こう付け加えた。「もしかすると、自分の頭がそうなっているのかなとも思います。空気に膜があるんじゃなくて、私の脳に膜があるのかもって。」外界の問題なのか、自分自身の問題なのか、それを悩んでいるふうだった。

 そこで私は言った。「君の脳が問題なら、脳手術をしてその膜を除去すればいい。でも、ほんとうに巨大な気球があって、それが透明の膜で僕たちを覆っているのなら、これを破るのはたしかに大変だ。」

 その後考えたのだが、彼女の言う通り、日本は透明な膜で覆われた気球にちがいない。政治的圧力の高い国では、国民にその膜が意識されやすいが、日本の場合は空気が薄く感じられる程度で、その膜がほとんど意識されないでいる。政治的圧力が低いからなのか、あるいは非常に巧妙に高圧がかかっているのか、そのどちらかなのだろう。

 政治的圧力は一種の場の理論に依拠しているように思われる。場の雰囲気という言葉があるように、ある場において、そこに集まった人々の相互関係が場に特有の雰囲気をつくる。すると、そこにいる人々は目に見えないこの雰囲気に縛られる。

 この雰囲気を意図的に構築しようとする人がいれば、その人が場のリーダーということになる。しかし、リーダーが目立ちすぎると場がしらける。場がもつには、それぞれが一定の役割を与えられ、場を支えているのは自分たちだと感じる必要がある。

 日本の教育とはまさにこの場づくりの訓練だ。これが成功するか否かは、どれだけ各人に主体的に場づくりに臨んでもらえるかにかかっている。評論家の山本七平によれば、軍国日本はこの場づくりで失敗した。戦争は上から押しつけた「空気」だったので、国民はこれに反応できなかったのである。

 「空気」は場に集まった人々がつくっていかねばならないのに、その「空気」を一部の人が占有し、それを他の人々に押しつけた。その結果、自分たちがなんのために戦争をしているのか、国民の大半にはわからなかったのだ。

 敗戦から学ぶものがあるとすれば、まさにこれである。企業においても、役所においても、学校においても、「空気」はあらかじめ出来上がっているものではなく、また人に押しつけるものでもなく、自分たちでつくり上げていくものだということを肝に銘じなくてはならない。「空気」を自分たちでつくり出せれば、透明膜の気球にいくつもの気孔ができて、開かれたものになるにちがいない。そのとき初めて、日本は風通しのよい国となり、生命力が回復されるのである。

 はっきり言って、今の日本は死んでいる。酸素の欠乏。空気膜の意外なほどの丈夫さ。それに気づかぬ大半の国民。気づかせぬメディア。台風が来れば、一掃されるとでもいうのだろうか?

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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