2024年11月22日( 金 )

知っておきたい哲学の常識(42)─科学篇(2)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

ホモ・サピエンスとは

宇宙と人類 イメージ    人類はホモ・サピエンス(=知あるヒト)と呼ばれる。ヒトがほかの動物とちがうのは知力による、という意味である。なるほど、動物は言語をもたず、環境を変えようともしない。

 「知あるヒト」を「科学するヒト」と言い換えてもよい。感情表現のできる動物はいるし、犬などは人が悲しんでいるとそれを察知する能力もある。だが、科学となると、ヒト以外の動物には難しい。動物学者が蟻にも数学ができると証明するときが来るまでは、ホモ・サピエンスという名称は有効なのである。

 だが、「科学する」といっても、科学をリードしているのは欧米であり、たとえ日本やインドから科学者が輩出されても、彼らの活躍ぶりはヨーロッパかアメリカで認められる必要がある。科学の中心はつねに欧米であって、その他の地域ではないのだ。となると、同じホモ・サピエンスにも序列があり、欧米がその最上層に位置することになる。

 科学の大元は古代のギリシャにあり、それが17世紀のヨーロッパで革新されて今に至っている。科学の中心である物理学はガリレオとニュートンがその革新者であり、その後マクスウェルやアインシュタインに至るまで、すべてヨーロッパを中心に展開してきた。

 日本人がこれに参加し始めたのは19世紀も後半になってからで、そこで頭角を現すには西洋科学をマスターしなくてはならなかった。現在でも世界中の科学者が英語で論文を書き、西洋産の数式を用いて自分の考えを表す以外に道はない。

 歴史がその正当性を証明しているのだから、これを受け入れるほかあるまいと思う人がほとんどである。しかし、これに異議を唱えている人もいる。人類学者のレヴィ=ストロースがその1人である。彼は人類の科学をもっと広い視点から見ることを提案し、その観点から西欧の科学を相対化する。

 レヴィ=ストロースによれば、人類はホモ・サピエンスの名にふさわしく、太古から科学している。彼の専門は「未開社会」の研究であったが、彼はそこにも正真正銘の科学があると言い切った。

 そもそも科学とは何かというと、自然界を知的に理解し、その理解をさまざまな実験によって一定の法則性に結実させようとする試みをいう。「未開社会」の場合は、たとえば植物を細かく分類し、どれが食用に適し、どれが適さないかを長年の実験を通じて明らかにし、同時にまた植物の世界を体系化し、それを神話のかたちで定着させている。一見、非科学的に見える彼らの知的財産を、レヴィ=ストロースは迷わず科学と呼んだ。

 近代の科学者が数式で表すところを「未開人」は神話で表しているが、それは表現形式のちがいに過ぎない。数式が神話でないと誰が言い切れよう、とレヴィ=ストロースは喰ってかかる。西欧中心主義をひっくり返そうという彼の目論見は、時として過度の「未開」びいきを感じさせるが、それでも世界全体から見れば歓迎されるべき主張である。彼が私たちに求めているのは視点の逆転である。

 その点では、中国の科学を膨大な資料に基づいて明らかにしたニーダムも忘れてはならない。中国文明が達成した科学的業績をくまなく調べた挙句、そこに宇宙の理解と人間社会の理解を同じ観点から説明しようとする精神を見出した。

 彼にとって、それは西欧科学にはない美点であった。西欧科学には人間社会への関心がなく、それがどんなに見事な発展を遂げたとしても倫理的な欠陥があるのに対し、中国科学には人間的関心、すなわち倫理があると主張したのだ。

 中国の科学が倫理的なのかどうか、そこはわからない。が、中国の知性が治世を重んじ、自然についての理解をそれから切り離さなかったことはたしかなようだ。一方、レヴィ=ストロースの「未開の科学」は、これが神話づくりを目指す点において、自然と人間を分離させていない。なぜなら、神話は宇宙を説明するとともに、人間社会の秩序をも説明するものだからだ。

 そういうわけで、「未開の科学」は倫理を離れることはない。ニーダムと同じく、レヴィ=ストロースも倫理的次元を切り捨てた西欧科学を批判しているのである。

 彼らの主張を裏づけるもので、私たちが身近に知っているのは漢方医学ではないだろうか。漢方医学もまた幾多の実験を経て出来上がった理論をもっており、その土台には宇宙の原理と人体の原理を同時に説明する超論理が存在する。この超論理が真実なのか否なのかは、今のところわからない。しかし、そこには人間への関心が自然への関心と同程度に存在することはたしかだ。

 とはいえ、漢方医学を西洋医学より倫理的だと言い切るのは気が引ける。西洋医学にも医療である以上、倫理が存在するからだ。私見を言わせてもらえば、どちらの医学にも一理はある。この2つの併用がもっとも適切であるように思われる。漢方医学を正式な科学と見なさない日本の医療政策は、その点から見直さなくてはなるまい。


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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