【倒産を追う】ホークスにもゆかりの酒造メーカー 競争の波に敗れた薄利多売戦略
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鷹正宗(株)
「お客さんにいちばん近い酒造会社」を自負する久留米の酒造メーカー鷹正宗(株)とグループ会社の叡醂酒造(株)は6月1日、福岡地裁に民事再生法の適用を申請し、経営再建を目指すこととなった。一時は酒造メーカーで九州上位となっていた同社の今後の動向が注目されている。
天保から続く老舗メーカー
鷹正宗(株)の始まりは、約170年以上前となる江戸・天保年間。西暦では1830年から1844年ごろとされる。「隈本家酒造」として営業を始めた老舗だが、1980年代は業績の低迷を余儀なくされており、赤字を散発していた。
そのようななかで88年8月、同社に「北九州コカ・コーラボトリング(株)(現・コカ・コーラボトラーズジャパン(株)、以下コカ・コーラ社)」が資本参加したことは大きな転機となった。そのころ、コカ・コーラ社は「飲料事業を核とする総合流通サービス事業の展開」を計画し、清涼飲料事業から酒類なども含む総合飲料事業へシフトしようとしていた。そこに丁度「経営に困っている久留米の酒造メーカーがある」との話があり、88年8月に隈本家酒造へ資本参加した経緯がある。
コカ・コーラ社から3名の社員が送り込まれた後は露出が急激に増加した。隈本家酒造の古い体質を脱すべく、卸ルートの再構築、取引業者の刷新を行った。社内の意識を変え新しい発想を生み出すための賭けに出たとコカ・コーラから出向した当時の社長はコメントしている。さらに、社員の評価システムの改善や工場内用地の舗装、営業人員の確保による営業力の強化など、社内体質を一新した。
福岡拠点の球団再来
89年3月に福岡へ「ダイエーホークス」がきたことも追い風となった。78年に「西鉄ライオンズ(拠点変更直前はクラウンライターライオンズ)」が約30年間本拠地としていた福岡から埼玉に変わったことで、福岡をホームとする球団が長い間存在していなかった。11年ぶりに福岡を拠点とする球団が誕生したことは、福岡県民を大いに沸かせた。
「鷹つながり」ということで同社を代表とする清酒銘柄「鷹正宗」をホークスに売り込んだ。「鷹正宗」には一升瓶のものや、祝いの席などで使用される菰樽(こもだる)などの種類があったのだが、「将来的に一升瓶の需要は下がる」との見解からアルミ積層ラミネートパックのチューブ入り酒「鷹正宗タカパック」の販売を開始していた。これがちょうどホークスが来る1カ月ほど前だったのである。「鷹正宗タカパック」はホークスに採用され、ホークスの商標使用を認めた「ホークスパック」として球場で販売されることとなった。
91年7月には隈本家酒造(株)から鷹正宗(株)に商号変更し「鷹正宗」の名のもとに歩みを進めることとなった。もとは「ダイエーホークス」の「鷹」のつながりから生まれた縁だったが、その後鷹正宗の商品は、球場のみならず「ダイエー」系列のコンビニや総合スーパーなどへ拡大していった。こうして88年9月期に1億6,200万円だった売上高は、5年後の93年9月期には11億6,500万円、さらに3年後の96年9月期には34億5,400万円まで伸長した。
親会社変更、新体制へ
コカ・コーラ社の傘下で歩みを進めてきた同社だが、2008年6月に同社株式が(株)原武商店に譲渡された。原武商店は1921年創業、56年5月設立で久留米に本社を置く酒類関連業者。酒類卸売業を営んでいたが、2000年からは酒類小売店「リラックスチェーン」を発足し、小売業へ参入。以降、売上、店舗数ともに上昇傾向にあった。原武商店の代表取締役・原武康弘氏が鷹正宗の代表取締役に就任し、新体制となった。
そして14年10月、鷹正宗は新たに叡醂酒造(株)をグループに加えた。叡醂酒造は(株)紅乙女酒造(福岡県久留米市)の焼酎製造部門だったが、紅乙女酒造の経営不振などがあり全株式と叡醂酒造が有していた久留米市の土地・建物、製造免許を譲受した。これによってグループは看板の鷹正宗、販売部門の原武商店、製造部門の叡醂酒造と製販一貫体制を整備した。叡醂酒造は15年12月期決算では1億9,794万円の債務超過となっていた。しかし、鷹正宗の傘下入り後は利益を積み増していき、18年12月期には債務超過を解消していた。
焼酎に活路求める
同社は近年海外輸出も行っており、20年1月には、海外事業を円滑に進める目的で鷹正インターナショナル(株)を設立した。また、オリジナル商品を積極的に品評会に出品しており、21年に開催された世界3大酒類品評会「インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション2021」では、本格麦焼酎「筑紫の坊主」が金賞を受賞した。さらに、日本で唯一の洋酒・焼酎品評会である「東京ウイスキー&スピリッツ・コンペティション」では、本格麦焼酎「こげん」と「そげん」が20年から22年まで3年連続金賞以上を受賞し殿堂入りした。「こげん」に至っては約250の出品数のうち、1割弱しか受賞できない「最高金賞」を2度受賞した。
同社は清酒「鷹正宗」が広く知られているが、近年は麦焼酎が製造の7割を占めており、紙パック入り焼酎「めちゃうま麦」や樽詰めの焼酎量り売りなど、低価格の焼酎が主力となっている。
親会社での粉飾決算露呈
17年5月には、本社を久留米市大善寺町の工場から久留米市小頭町に購入したビルに移転。21年2月には、代表取締役社長が佐藤司氏から鷹正宗に27年在籍していた元常務取締役・濵崎公孝氏へ交代し、同会長は原武康弘氏、取締役副会長に佐藤司氏となった。そして23年は、新型コロナウイルスが5類感染症に移行したことなどを受けコロナ禍が収束に向かっていくなかで、海外輸出事業にさらに力を入れて取り組んでいく方針を出し、新卒採用なども積極的に行っていた。
そのようななか23年1月、根抵当権者が西日本シティ銀行、極度額6億6,000万円が設定されていた同社の製造工場(久留米市大善寺町)に共同担保として、久留米市六ツ門町にある土地と原武康弘会長が所有するマンションの1室が追加された。その翌月には親会社の原武商店がバンクミーティングを実施し、粉飾決算が発覚。一気に信用不安に陥った。
そして6月1日、原武商店と酒類小売店の運営を行う子会社7社の合計8社が破産手続きの開始を申請。同日、鷹正宗と叡醂酒造は民事再生法の適用を申請した。鷹正宗も以前より同業他社との競合、また、小売店との取引が主体であり利幅が薄いなどの問題を抱え、06年12月期に約51億円あった売上高は、22年12月期に約27億円に減少していた。代表取締役社長・濵崎公孝氏は、「ご心配とご迷惑をおかけしますが、グループ一丸となって再建を図ってまいりますので、どうかご理解とご協力を賜りたいと存じております」とコメントした。
これからスポンサー選定に入る。毎年行われるホークスの鏡開きで「鷹正宗」の菰樽が使用されていることもあり認知度は高い。同社は近年焼酎に注力して評価を受けるとともに一定のシェアを獲得してきた。しかし、祖業の清酒事業は、知名度はあったが低価格路線から抜け出せず市場での競争力を失っていった。早い段階では低価格路線で勝負しながら別ブランドなどで高付加価値商品を開発する選択肢もあったと見られるが遅きに失した。再建の道のりは険しい。
【立野 夏海】
<COMPANY INFORMATION>
代 表:濵崎 公孝ほか1名
所在地:福岡県久留米市小頭町8-12
設 立:1935年11月
資本金:9,000万円
売上高:(22/12)約27億円解説
淘汰本格化へ 正念場迎える焼酎蔵
酒造メーカーの淘汰加速は避けられない。とりわけ業務用(飲食店向け)を主力としていた企業の環境は厳しさを増す。コロナ禍による「宅飲み」増加により小売店向けは需要が伸びたものの、業務用は大打撃を被った。業務用と小売用双方に販売網を構築している企業はリスクヘッジすることができるが、そうした酒蔵はひと握りだ。小売ルートは大量販売が期待できるが、扱う大手問屋が同じ熱量ですべての商品を販売することは不可能だ。
こうしたなかで多くの中小酒蔵は業務用に注力することを選択。商品を磨き上げ、少ない流通量でも付加価値をつけることで生き残りを図ってきた。その手法でブランドを築き、生き残ってきたメーカーは少なくない。業界関係者はそうした経緯を「資金的、人的資源が限られる中小酒蔵の選択としては間違っていなかった」と振り返る。
しかし、コロナ禍はこのビジネスモデルを破壊する打撃力をもっていた。コロナ関連融資の返済が本格化しているなか、業務ルートを主戦場としていた酒蔵は市場回復との競争を余儀なくされる。とりわけ、焼酎業界は大手の販売力が強い。借入金返済の体力をつけていなかった企業はこれから正念場を迎える。
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