米国の日本人大虐殺は戦争犯罪
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NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のメルマガ記事を抜粋して紹介する。今回は、ウクライナ戦争でロシアの戦争犯罪を叫ぶ米国も、日本に対する戦争犯罪について同様に責任を問われるべきと論じた8月6日付の記事を紹介する。
78年前の1945年8月6日午前8時15分、米国は広島に原子爆弾リトルボーイを投下。きのこ雲の下に、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでに14万人もの命が奪われた。
これだけではない。米国は同年8月9日午前11時2分、長崎にプルトニウム原子爆弾ファットマンを投下。原爆投下により長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4,000人が殺害された。負傷者も7万人超に達した。
1945年3月以降、米国は日本の主要都市において焼夷弾による空襲を繰り返した。3月9日から10日にかけての東京大空襲では東京の一般市民8万4,000人が殺害された。
東京だけでない。日本全国の主要都市で焼夷弾爆撃が展開された。50万人以上の一般市民が虐殺された。広島、長崎の原爆投下、東京大空襲を含む日本全国での空爆、民間人の大虐殺は明白な戦争犯罪、国際法違反行為である。
ウクライナ戦争でロシアの戦争犯罪を叫ぶ米国。その米国が重大な戦争犯罪を実行してきている事実が存在する。日本の敗戦は時間の問題だった。しかし、米国政府は日本を最速で降伏させて戦争を終結させることよりも、2つの目的を達成することを目指して行動したと見られる。
2つの目的とは、ソ連の影響を最小限に抑制すること、日本降伏前に日本に原爆を投下すること、である。可能な限り早期に原爆を投下し、ソ連の影響力が拡大する前に戦争を終結させる。これが米国の行動基準であったと考えられる。
1945年2月のヤルタ秘密協定で、ドイツ敗戦90日後のソ連の対日参戦および千島列島・樺太・朝鮮半島・台湾などの日本の領土処遇が決定されている。
ヤルタ秘密協定を締結したのは米国とソ連。日ソ中立条約は1941年に締結され、有効期間は5年間だった。ソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦したことを批判する者は多い。
しかし、ソ連の行動は米ソの協議によって決定されていた。ソ連の対日参戦を求めたのは米国である。ソ連の行動を非難するなら、同時に米国の行動も非難する必要がある。
※続きは8月6日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「米国の日本人大虐殺は戦争犯罪」で。
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