2024年11月05日( 火 )

葬式の後に待っていること(後)

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大さんのシニアリポート第126回

 私にも故郷に両親が眠る墓がある。しかし墓参するには遠すぎる。5年ほど前、「墓仕舞い」を住職に告げたところ、意外な答えが返ってきた。「墓仕舞いをして、ご両親の骨を合祀しましょう。合祀料は1人40万円。おふたりですので80万円ご用意願います」というのだ。

 「墓仕舞い」をして骨(御霊)を我が家にある仏壇に移すつもりだった私の計算が狂った。合祀してしまったら何のための「墓仕舞い」なのか分からない。檀家が減少して経営に苦しむ寺の事情も理解できなくはない。でも、護れない墓を放置するのは忍びない。そのために理に叶った方法で通告したのだが…。

 今、家の仏壇に両親が眠っている。私個人は墓はいらないと思っている。時間の経過とともにお棺も遺体も土に還る共同墓地に埋葬した部落の人たちも、個人的な供養の中心は家にある「仏壇」だった。仏壇に故人の位牌を納め、手を合わせることが普通に行われていたのだ。

墓は必要ですか?

お墓参り イメージ    「ぐるり」の常連客で北海道出身のKが死去した。長男故、北海道にある先祖代々の墓地に埋葬となる。しかし、妻は病弱で長旅ができない。そこで、姉妹が遺骨を運んで菩提寺の墓に埋葬したと聞く。地元には代々墓を護るはずの身内がいない。すでに結婚している姉妹は父が埋葬されている墓に入ることはできない。墓はやがて無縁墓になるだろう。

 父親が他界し、家族葬で済まそうとした家があった。ところが、尊敬する兄(父親)の葬儀を盛大にしたいと父親の妹(叔母)からクレームが付いた。仕方なく盛大な葬儀にした。しかし、現役時代は会社の重役として顔が広かったものの、退職してかなりの年数を経れば参列者の数も知れている。予想通り、実に寂しい葬儀となった。

 さらに叔母は聖地霊園に立派な墓を設けた。恐らく葬儀代も霊園墓地代も叔母がかなりの額を負担したと思われる。だが、残された子どもたちは全員娘で、すでに嫁いでいる。この墓もやがて合祀されるだろう。墓を護る人が不在の無縁墓は、業者の手で処分(解体)される。

 ところが、墓を処分するはずの業者が、産廃業者に丸投げ。産廃業者は無人の島に廃棄したという報道があった。波打ち際に無数の無縁墓が投棄されている。墓に刻み込まれた「〇〇家」「先祖代々」の文字が鮮明に見える。実に異様な光景だった。

 墓まいりはお盆の恒例行事の1つである。しかし、大家族はとうの昔に消え、核家族化が進んだ現在。相互扶助、共同体を唯一の「結」として生活してきた村社会は、誰も住まなくなった廃屋とともに霧消するだろう。葬儀も墓に対する考え方も変わらざるを得ない。

地域に相互扶助の精神が消えた

サロン幸福亭ぐるり    宗教学者の島田裕巳氏は、朝日新聞(22年11月17日)紙上で、「土葬のころは、家で棺に入れ、埋葬する土地まで葬列を組んで歩きました。英国の国葬で、壮大な葬列を組んでいたでしょう。あれこそ、葬式の核心なのです」「高齢化が進んで、老後が長くなったこともあります。だんだん人間関係が整理され、時間をかけて社会からフェードアウトし、最後は高齢者施設に入る。関係が希薄になっているので、以前ほど死の持つ重みがなくなっている」。

 続いて「亡くなっても病院から自宅には戻らず、葬祭場に直行する。身内だけの家族葬が定着しましたが、段取りは葬儀業者がパッケージしている」「葬送に見られた組織文化がいかに大切なものだったか。まずそこから考えた方がいい。個人に傾斜し、共同体をまわすスキルを失ったことで、さまざまな弊害が起きている」と警鐘を鳴らす。

 かつて私の故郷でも葬式が行われると、隣近所の人たちが助けてくれた。葬儀の式次第を地区の長が担い、葬儀後のお斎(とき、料理)づくり、配膳、酒の準備から片付けまで何でもやってくれた。喪主は寺との交渉のみ。香典は一律500円。香典返しはお茶と決められていた。どの家でもいずれお世話になるからという暗黙の了解があった。

 金をかけずにみんなで送る。それが相互扶助の基本的精神だった。地域の仲間同士で金銭の貸し借りをやる「頼母子講」(たのもしこう、後の信用金庫の原型)。田植えや稲刈りをはじめさまざまな共同作業も、地域で助け合うという規律が、結局は村そのものを護ることにつながった。

 相互扶助という精神が消滅し、個人主義が横行する現在、死もまた人生の流れのなかでパッケージ化されていく気がする。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。

(第126回・前)
(第127回・前)

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