2024年12月23日( 月 )

日本社会が直面する大きな変革 Z世代の希望と憂鬱とは(後)

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メディアアーティスト
落合 陽一 氏

急激な技術進化が
Z世代に憂鬱をもたらす(つづき)

 Z世代はデジタルネイティブであることはたしかですが、情報の洪水やデジタルの疲労感、技術革新の高速な連続によって雇用の不確かさなどの懸念も抱えているのです。デジタルネイティブとして生まれ育った彼らは、インターネットやSNSを通じて情報伝播のスピードや範囲がかつてないほどに広がり、リアルタイムで世界中の出来事にアクセスすることができるメリットを享受すると同時に、無力感も抱きやすいという弱点もあるでしょう。

 このため彼らは社会の変化や課題に敏感であり、情報に触れることでより巧妙になりながら、あらゆる分野における問題意識を深めています。しかしその一方で、情報過多の時代に生きることは彼らにも多くのストレスや不安をもたらし、これらの社会的な変革と個人的なプレッシャーが相互作用しながら、彼らのなかに希望と憂鬱が同時に形成されています。

 哲学的に考えると、このような複雑であいまいな状況こそが、私たちが直面している現代社会の姿であり、ロマン主義者たちが追い求めるようなイデオロギーに対して直線的な「美しい世界」はどこか幻想的で遠い存在となってしまっています。この複雑なメカニズムは、『考現自然技術文化学』として捉えるに値する変化であり、その多角的な視点から探求していくことで、Z世代が抱える「高速に相互接続されたカオスとオントロジー」の問題の本質に迫ることができるかもしれません。

 そしてこのような視点から見ることで、Z世代が持つ特性や問題意識は、デジタルネイチャー、ナチュラルコンピューティング、AIや量子コンピューティングなど、科学技術の進歩と社会文化の変容が生んだ新しい自然との関わりを人間論として見つめ直すきっかけとなり、計算機および人間のより深い理解と相互の対話が可能になるでしょう。

憂鬱と隣り合わせの希望
日本社会の変革につながるか

メディアアーティスト 落合陽一 氏
メディアアーティスト
落合 陽一 氏

    このように、Z世代の希望と憂鬱は、現代日本社会の大きな変革と深く結びついています。彼らは独自の視野でリアリティに向き合い、22世紀への門をたたき始めています。今世紀、我々の倫理観はより多様性を尊重する、持続可能な社会の実現に向けて前進するかもしれません。しかし、それは単純な楽観主義ではなく、デジタル帝国のもたらす格差や資本の格差の苛烈な現実とともにあるでしょう。

 この計算機自然(デジタルネイチャー)の進化によってもたらされる変容は、私たちの社会が未踏領域に踏み込んでいることを示しています。この変化の波は、かつてないスケールで進行しており、まるで暗闇のなかに光が差すように、不安と興奮が交錯するような感覚を引き起こします。今までにみられたピクセルや数学的進行だけでなく、あらゆるものが数学的表現を潜在的に経由することで他のものに変換可能な状態になっています。この現象は、我々の視野が曖昧さと不確実性の領域に向けられていることを証明しています。

 このデジタルネイチャーの世界では、すべてが具現化され、すべてのものが飛躍し、言葉自体が1つのフレーズから文脈を含めた文に変化し、その文は絵画や映像を生み出し、絵画は音楽に、音楽は彫刻に、彫刻は文学に変わっていく。この悲観的な変動の連鎖は、我々が破局と再生の交差点に立っていることを示唆しています。こういった変化は有史以来類稀なるものだといえるでしょうが、それゆえに我々はその前途にある影に恐れを感じることもまた必然ともいえます。

 しかし、哀愁がただちに暗澹たる気分を生じさせるわけではなく、こうした感情がダダイズムのように独創性や革新性を創出する土壌となり得るのかもしれません。悲観的な視点からの哲学や芸術思考は、社会や文化の枠組みを超越し、新たな美的価値や倫理観を模索することや、架空と現実が交錯する可能性の空間を開拓することができるでしょう。

 芸術表現だけでなくすべての人間の出入力の価値は歴史的な転換点を迎えています。我々は、そのゆえにどのようにして現代の無意味さや混乱を乗り越えるべきか、壮大な挑戦に立ち向かわなければならないのかもしれません。この変容する森羅万象が常態化した新しい世界の入口に立っている現在、私たちは急速に変化する状況にどのように立ち向かうべきかという問いに取り組まなければなりません。私たち人類は、過去の遺産と現代の断絶を越えて何を学ぶことができるのでしょうか。

 このコンピューター技術と自然の結合から、新たな言葉や文化的要素が生まれるのか。私たちは、計算機自然の理解を深めながら、文化がどのように進化していくのかを探求する時期にきています。そのために我々は数年前から、新しいヴァナキュラーアートの探究や、人類の経験を形成する豊かな文化の土壌を探索する必要があると考え、着手を始めています。

 しかし、このような試みも、絶望や希望が交錯する現代的空気のなかで、どこまで意味をもつのでしょうか。たとえば民俗的な展開や先史時代の文化を含む、民族的な調査やフィールドワークが必要であり現代の変容する自然観や新しい民俗と伝統を見出す活動などを始めました。こうやって歴史的な伝統を模索し現代的な計算機自然が共鳴し合う芸術の可能性を探求することは、Z世代の希望や憂鬱を昇華させる1つの方向性であると考えられます。

 ですが、その果てにあるのは、ただ再び変化のなかで浮沈する芸術と文化の進化なのかもしれません。悲観的であるかもしれないこの観点は、我々がどのように認識や理解、そして表現を更新し続けることができるのか、挑戦と疑問を投げかけています。計算機と相互接続された探求は今までの哲学的な探求とは異なる探究を可能にしています。常に数理的でもあり工学的でもあり人文学的でもありながら芸術的でもあります。デジタルネイチャーによってもたらされる相互変換が我々の知的貢献の方向性を脱専門化し、相互変換、相互対話可能なかたちに置き換えていくのを可能にすることを、私たちは希望をもって受け入れていくべきなのでしょう。それが予測不能な不安によって生まれる実存的問題や存在論的問題を引き起こすとしても、その問題を多様な価値観のなかに解きうるのもまた人智を超えたコンピューターの処理能力や相互接続性なのですから。

(了)


<プロフィール>
落合 陽一
(おちあい・よういち)
1987年生まれ。メディアアーティスト。2015年東京大学大学院学際情報学府博士課程修了、博士(学際情報学)。筑波大学デジタルネイチャー開発研究センター長、准教授、JST CREST xDiversityプロジェクト研究代表。25年日本国際博覧会(大阪・関西万博)シグネチャー事業プロデューサー。複数の大学の客員教授、社団法人の理事も務める。『日本再興戦略』など著書多数。

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