「心」の雑学(5)合理的な選択と道徳(後)
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道徳的ジレンマと向き合う思考法
前回(「心」の雑学(4)合理的な選択と道徳(前))、世間で一般的に考えられている合理的な選択とは何であるか、そして明確な正解のない場面での選択の難しさについて考えてもらった。モラルジレンマ課題という、哲学や心理学で用いられている道徳に関する問題場面を通して、命の関わる選択で人が陥りやすい傾向を紹介した。今回は、モラルジレンマのような正解のない意思決定の場面で、道徳的判断を迫られた際の合理的な選択とは何かを考えていきたいと思う。
まず、モラルジレンマ課題についておさらいするとしよう。この課題では、自分が何も行動しなければ多数の人が死んでしまうアクシデントが迫っており、自分の行動によりこの人々の命を救う方法が1つあるが、その行動をとると新たに別の犠牲者が1人発生してしまう状況に立たされている。このような場面で、1人を犠牲により多くの人を救うかどうかの選択を迫られる、というのがモラルジレンマ課題である。暴走するトロッコを、スイッチによる進路変更や歩道橋から人を突き落とす方法で解決する話がとくに有名だ1。ほかにも、医療場面で早期の臓器提供がなければ死んでしまう患者たちがいて、新たに生死の境にある重症の怪我人が緊急搬送されてきたときに、意図的にその怪我人に医療ミスをすることで別の患者に臓器を提供するかなど、課題にはさまざまなシナリオが存在している。このような命の選択で、改めて自分ならどうするだろうか?
ちなみに、前回はこのジレンマ場面での選択において、1人の命を犠牲にして多くの人を助けるための解決方法に、身体的な接触がともなうかどうかで人の判断が大きく変わることを紹介した。その後の研究では、1人の犠牲によって助かる側に自分が含まれるか、1人の犠牲者は自分が関わらなければ死ぬことはなかったか、多くの命を救うための解決方法には1人の犠牲者に対する明確な殺人の意図が含まれていたか、といった状況要因によっても判断が影響を受けることが明らかにされている2。
さらに、神経科学の研究から、先ほど挙げた犠牲者との身体的な接触が生じるなどの条件が含まれると、判断の際にネガティブ感情が活性化することが示されている3。モラルジレンマ課題には多様なシナリオがあるが、異なるのは1人を犠牲にする際の方法・手段のみで、1人の犠牲によって多くの命を救うかどうかという問題の構造はすべて同じである。しかし、手段の違いという点のみで私たちの脳はネガティブ感情という拒否反応を起こし、1人を犠牲にすることへの強い抵抗感を示してしまう。
つまり、道徳の本質とは無関係な要素が、この道徳的な葛藤場面での私たちの選択に大きな影響をおよぼしてしまうということだ。ジレンマをともなう正解のない課題における選択と向き合うためには、このような人の選択行動に潜むバイアスの存在を意識し、冷静な態度で考える必要がある。
最大幸福を高める哲学的観点
それでは、具体的な合理的選択について掘り下げていこう。「この問題に正解はない」という枕詞を付けることにはなるが、そのうえでモラルジレンマ課題ではどんな状況であったとしても、1人を犠牲にしてより多くの人を助ける選択をとることが合理的だと考えられている。より多くの人の命を救うというこの選択は、「功利主義的判断」と呼ばれている。功利主義自体は哲学や倫理学の理論であり、哲学者のBenthamが考案した。その後、同じく哲学者のMillが広めたとされ、モラルジレンマが着目されるよりも前から存在する哲学的思想である。功利主義自体の細かな解説は省くが、功利主義では何らかの行為の結果、得られる幸福(とくに社会全体の幸福)が最大になるような選択を良しとしているのだ。そのため、モラルジレンマ課題のような選択場面では、結果的に助かる人数を多くする選択が、より大きな幸福をもたらすものと考え、合理的とみなされる。
前回は、経済学の期待効用理論を例に挙げ、この理論では価値や利得を最大化あるいは最適化するものが合理的な判断と考えられていることを紹介した。功利主義も状況に応じて幸福を比較可能なかたちで数量化し、最大化できる行動を選ぶように思える点では、経済学の理論と類似してみえる。そう考えると、結局のところどのような場面であっても、何らかの成果が最大になるものを選べば、常に合理的な選択のように思えてしまう。そう聞いて、皆さんはこの合理性に納得ができるだろうか。
功利主義のよくある誤解として、命について数で損得を決める冷徹な思想という指摘があるが、モラルジレンマにおける功利主義的な判断の本質はそうではない。とくに、幸福を数量化して最大化するという部分だけに気をとられないことが大切だ。モラルジレンマを研究する心理学者のGreeneは、ジレンマ状況の当事者や関係者を公平に扱った際に、最も人々が幸福になる観点、方法は何であるかを考えるプロセスの部分こそが、功利主義の意義深い点だと述べている4。
モラルジレンマ課題の要点は、暴走するトロッコをどうするかではなく、どんな選択をとっても深刻な犠牲者や損害が発生してしまう場面に、どう対処するかを考えることにある。前述の通り、犠牲者への身体的接触をともなうか否かといった、道徳とは本質的に異なる要因により、私たちの脳は強い拒否反応を示すことがしばしばある。しかも、やっかいなことにこの感覚は人類に広く根づいている一方で、犠牲者を出してまでより多くの命を救うことがなぜ許されるのか、あるいは合理的といえるのかについての感覚は、共有されていない。
このときの目線を、個人ではなく集団や国という単位で捉えると、イメージがしやすいかもしれない。Greeneは、環境問題や紛争をはじめとする現代の国際的な課題や対立の根本は、この1人を犠牲にすることを許容できないネガティブ感情と同類の感覚に基づいていると考えている。文化や宗教などの多様な価値観に沿って、ある社会課題の解決にともない発生する何らかの犠牲に対して、人々の拒絶反応を引き起こす理由がいくらでも出てきてしまうのだ。ゆえに、モラルジレンマのような葛藤を抱えた選択場面で、すべての人間が納得できるような明快な回答は導き出せないといえる。こう聞くと、モラルジレンマのような場面での合理的選択とその説明が不可能に思えるかもしれないが、そうではない。そのような多様な価値観、思想の違いがあっても、ほぼ間違いなく人類に共通している点が1つある。それは、基本的に人はみな幸福を求め、苦しみたくはないと考えているということだ。どれだけ文化や背景が違っても、根本的な価値観としてこの考え方は共有されているといえる。
モラルジレンマの場合も、1人を犠牲にすることが正当化されることはない。ないのだが、そのうえでより苦しみが少なく、幸福な人が多くなるのはどういった選択かと問われたら、合理的に思えるのはきっと、より多くの命を救うものになると思う。疑念がスッキリ解消とはならないかもしれないが、多少は納得できる部分を感じられるのではないだろうか。
功利主義は絶対ではない
正解がなく道徳的な葛藤を抱えた難しい問題場面では、人々が納得してくれるような選択をとることが難しい。今回はそんな状況で、1つの合理的な選択の指針を導いてくれる考え方を紹介した。
功利主義の思想は、いかなる問題にも明確な線引きと合理的な決定を導いてくれるようにも思えるが、実際はそんなことはない。個人を犠牲にしてでも常に全体の幸福を最大化するという指針を遵守し続ければ、どこかでその仕組みに破綻が起きること、あるいは自身が直接的な利益を享受できない状況に納得がいかず維持できなくなることは想像に難くない。実際、現代においてほとんどの人が「功利主義」という考え方や言葉に馴染みがないことからも、この思想が万能薬ではないということを察することができるだろう。
Greeneもこの点については同意しており、功利主義は常に正しいわけではないが、人(あるいは集団、国)は対立や葛藤を生んでしまう以上、この思考法が国際化が進んだ現代の人類が協力し合うための方法としてときに効果的であることを挙げている。選択の利害関係者をフラットに並べ、そのうえで全体の幸福を高める解決方法は何なのかを探る。人々がこの姿勢をもって歩み寄り対話することが大切なのである。つまり、より多数が助かるという結果だけでは不十分で、なぜこれが全体の幸福を高めるのかについて、みんなで納得できる理由を考えるということだ。
ここに私なりの解釈を加えるとすれば、葛藤をともなう選択場面で関係者がどうしてもわかり合えないときは、対立する立場を一段階大きなレベルでまとめてみると良いかもしれない。たとえば日本人、ビール党、アニメオタク、あるいは人類といったように。対立するそれぞれの立場を越えて、関係者全体を包み込む「私たち」の観点をもってみるのである。その選択は、誰しも納得できるベストではないかもしれないが、選べるなかで最もベターに見える気はしないだろうか。
1. モラルジレンマについての詳しい説明はぜひ前回(「心」の雑学(4)合理的な選択と道徳(前))の記事をご覧いただきたい。 ^
2. Christensen et al. (2014). Moral judgment reloaded: a moral dilemma validation study. Frontiers in Psychology, 5(607), 1-18. ^
3. Greene et al. (2001). An fMRI investigation of emotional engagement in moral judgment. Science, 293(5537), 2105–2108. ^
4. Greene, J. D. (2013). MORAL TRIBES Emotion, Reason, and the Gap between Us the Them. New York: The Penguin Press ^
<プロフィール>
須藤 竜之介(すどう・りゅうのすけ)
1989年東京都生まれ、明治学院大学、九州大学大学院システム生命科学府一貫制博士課程修了(システム生命科学博士)。専門は社会心理学や道徳心理学。環境や文脈が道徳判断に与える影響や、地域文化の持続可能性に関する研究などを行う。現職は九州オープンユニバーシティ研究員。小・中学生の科学教育事業にも関わっている。月刊誌 I・Bまちづくりに記事を書きませんか?
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