2024年11月22日( 金 )

蛭子能収さんと認知症(前)

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大さんのシニアリポート第127回

 最近、漫画家でタレントの蛭子能収さんをマスコミで見かけることが多い。漫画家、競艇ファンというより、認知症当事者としての蛭子さんとしてである。蛭子さんは、2020年7月、レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症であることを公表した。

 ローカルバスを乗り継いで、目的地まで行くテレビ番組では、常にマイペースを貫き通す蛭子さんがいた。高視聴率だった番組を降板した理由は、歩行困難であった。その蛭子さんが認知症を患いながらも仕事に打ち込む。現在、65歳以上の認知症の人は600万人を越す。改めて認知症の現在を振り返ってみたい。

有名人が認知症を公表することは、
偏見のハードルを下げる効果絶大

サロン幸福亭 イメージ    余談だが、今から37年前、引っ越してきたマンションに偶然蛭子さん家族がいた。なぜか馬が合い、暇なときはよく我が家に遊びにきた。テレビで顔が売れはじめた頃である。とにかく人がいい。有名タレントとして偉ぶることもなく、故郷長崎の海産物を持参しては、居合わせた誰にでも気軽に振る舞った。

 当時から熱狂的な競艇ファンで、西武線の池袋駅に着くまでの車中、ずっと競艇の面白さについて熱く熱く語られたのには辟易した想い出がある。タレント業で成功し、市内でも有数な高級住宅街に移転。その後、東京の高級マンションに引っ越してからは会うことがなくなった。

 有名人だって認知症にはなる。5年前に認知症を公表した喜劇俳優の芦屋小雁(89歳)さん。今年同志社大学西門の向かいにある喫茶店「文化堂珈琲店」で「副業」(一日店長)をはじめた。「オーダーを間違っても、同じことを何回話しても許してね。いらっしゃい。ようこそ。ファンが店を訪ねると小雁さんはテーブルに向かい、うれしそうにあいさつした。

 注文をとったり計算したりすることは難しいが、注文の品を運び、知り合いが来れば客席で談笑することもある」(『朝日新聞』23年2月18日)。放浪の画家・山下清役でおなじみの兄、故芦屋雁之助ともに大のコーヒーファン。喫茶店開業が夢だったらしい。

 「水曜日(一日店長の日)の目玉メニューは、特製小雁ブレンド(700円)。文明堂で飲み比べたなかで気に入ったテイストを採用。コーヒー卸のワールドコーヒーの工藤隆史専務が中心となって豆を吟味した」「副業のきっかけは、認知症の人が飲食店のスタッフとして接客するイベントに夫婦で足を運んだこと」。

 妻の勇家寛子(59歳)さんは、「認知症でもできることはたくさんある。大変なことももちろんあるが、笑って生きられるということが伝わるとうれしい」(同)。有名人が認知症を公表することは、認知症に対する偏見のハードルを下げる効果が確実にある。

認知症の人にも理解しやすい
デザイン提供をリードする福岡市

サロン幸福亭 イメージ    「認知症とともに」(『朝日新聞23年9月24日から10月4日に計7回掲載)を読んだ。趣旨を拾い上げるだけで、認知症の現在とそれに対応する現場の意欲を十分に感じ取ることができる。報告の主旨のみを挙げてみる。

 <第1回>、認知症を自覚した人が、自分が通いたいデイサービス「介護保険の通所介護事業所」をオープン。「働くことを通じて社会参加という思いが、底流にはある」と説く。

 <第2回>「色や絵文字、施設の中を認識しやすく」。認知症の人にも理解しやすいデザインを導入。天井の高さ、トイレの壁、トイレの扉などに区別しやすい色や絵文字で表記。食器にも食べ物が認識しやすい工夫が凝らされている。これをリードするのは福岡市である。18年、専門家による委員会を設け、「どんなデザインが認知症の人にもわかりやすいのか議論を重ねてきた」。行政からの独自な提案は全国的に見ても珍しい。

 <第3回>「カフェに集う、仲間とつながる」。認知症カフェは、認知症本人、家族、地域住民、専門家が集まり、情報を共有し、互いに理解し合う場。認知症カフェは、全体の88.6%にあたる1,543市区町村にある(厚労省21年度調査)。

 <第4回>「金融機関、コンビニなどでの認知症者への対応」。通帳やキャッシュカード紛失(短期間に何度も)、年金の未入金を何度も指摘。京都信用金庫では、役職員の96%が「認知症サポーター」を取得。セブンイレブン京都山科百々町店では、認知症とみられる顧客に対し、民生委員や地域包括支援センターへ連絡するという連携で対応。

 <第6回>「体験や情報を共有。支え合うピアサポート」。ピア(PEER=仲間 この場合は認知症者)同士が、体験や感情、情報を共有したりして互いに支え合うピアサポート。認知症仲間同士だと心が通い合える。こうした取り組みがすでに全国各地にあり、さまざまな試みが実践されている。このことが重要なのである。

(つづく)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。

(第126回・後)
(第127回・後)

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