【クローズアップ】自民・公明の連立関係は継続するのか 冷え込む両党の信頼関係
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1999年に発足した自公連立は、岐路に立っている。岸田文雄首相、麻生太郎自民党副総裁ら自民党主流は公明党と距離感があり、国民民主党と連合の民間労働組合を政府内に取り込む動きを見せている。また、麻生氏は先日、2016年の安保法制をめぐる動きに関して、公明党幹部や支持団体の創価学会を「がん」と呼び、事実上の宣戦布告を行った。一方、この自公政権が福岡人脈で成立したことは、今日ではあまり知られていないかもしれない。福岡県の自公関係にも触れつつ、20年以上続いた関係が今後も継続していくのか考察する。
福岡人脈により成立した自公連立
自公連立が誕生したのは、1998年夏の参議院選挙での自民党の惨敗がきっかけである。当時の小渕恵三政権は参議院で過半数割れの状態でスタートしていた。参議院では法案可決に23議席不足し、国会運営で窮地に追い込まれた。政権を安定させる必要性に迫られ、99年1月、小沢一郎衆院議員が率いる自由党と連立を組み、さらに公明党を連立に引き入れ、同年10月に自自公連立が発足した。
福岡県の公明党所属の地方議員は「現在の自公連立は、神崎(武法元代表)さんの功績が大きかったと思います」と語るが、自公連立は簡単に構築されたものではなかった。93年の解散総選挙で自民党が下野し、非自民8党派が参加した細川護煕内閣が誕生した際には公明党も連立に参画した経緯がある。
その後、公明党は小沢氏の保守新党構想に賛同し、解党して、新進党に合流した。しかし、旧公明系は小沢氏の手法についていけない場面に直面し、旧公明系の再結集に動いた。そこで再結党された公明党の代表に就任したのが神崎氏であった。神崎氏は中選挙区時代、旧福岡1区選出であり、山崎拓氏や太田誠一氏、松本龍氏らと議席をめぐってしのぎを削っていた。支持基盤の創価学会の意向をうかがう必要もあった。簡単には連立とはいかず、野中広務官房長官と、神崎氏と同じ福岡選出の古賀誠氏が自民党国会対策委員長として調整に動いた。「福岡人脈が自公連立を築いた」と評する議員もいる。
公明党の指定席になった国土交通大臣
古賀氏は師匠といってよい野中氏と派閥は違うが、平和主義を掲げる点で一致していた。人権と平和の党を掲げる公明党は、野中・古賀両氏の根回しにより連立入りを快諾した。野中・古賀氏の引退後は、二階俊博氏や菅義偉前首相が自公ラインを継承した。
公明党は当初は厚生労働大臣(前身を含む)や環境大臣のポストを得ていたが、年月が経過するとともに、より実益のある閣僚ポストを欲するようになった。それが国土交通大臣であり、先月の内閣改造に際しても同ポストをめぐって自公間で駆け引きが行われたが、現職の斉藤鉄夫大臣が再任され、事実上の指定席と化している。麻生氏の発言にみられる自公関係のきしみは、閣僚ポストをめぐる争いにも一因がある。
国交省は、建設・不動産・流通・運輸など、所管する業界の裾野が広く、関連団体も多い。従来自民党を支持してきた団体が、公明党詣を行い、献金や関連企業に広告を出稿することはいまや当たり前となっている。
最初の連立の踏み絵は国旗国歌法
自民党と公明党は本来政策的に水と油の関係にある。支持団体の創価学会、とくに婦人部を中心に戦争忌避の考えは根強く、公明党には安全保障や増税などで自民党に妥協してきたとの思いが強い。
連立発足直後に第一の関門が訪れた。国旗国歌法の成立である。広島県の学校での卒業式における「日の丸・君が代」の掲揚・斉唱の実施をめぐり、校長が教職員組合と県教委の板挟みになって自殺した事件が起きた。これを契機に法制化が議論されるようになったが、公明党は、戦前の国家神道に基づいた国の政策が敗戦へとつながり多くの国民を苦しめたとの認識に立ってきた。自公間で水面下の話し合いが重ねられ、福岡出身で参議院のドンと呼ばれた村上正邦氏が粘り強く説得した。最終的に「十分議論したらさしつかえない」(神崎氏)と公明党も賛成に回り99年8月に成立した。
村上氏は保守系団体「日本会議」の設立に関わった自民党保守派の代表であり、公明党や創価学会とは主義主張を異にしていた。自公は連立維持の「踏み絵」ともいえる国旗国歌法の成立を通じて、次第に政策面で妥協しながらも、関係を深めていった。
9条堅持で安保法制に賛成
「公明党は、平和や福祉政策を重視する政党ですが、自民党と連立をするようになって20年にもなると、ずいぶん現実的になったというか、変わりました」(自民党所属議員秘書)。現実的とは、従来は慎重な立場だった安保法制などに賛成したことを意味する。
集団的自衛権の憲法解釈を変更した安保法制では、水面下の折衝において自民党が公明党の主張に配慮している。『公明党に問う この国のゆくえ』(田原総一朗・山口那津男、毎日新聞出版、2020年)には次のようにある。
「安倍(晋三)総理は、アメリカが武力攻撃された場合、日本が集団的自衛権を行使できるようにしたかったのだと思います。いわゆるフルスペック(全面的)な集団的自衛権です。(略)公明党はフルスペックの集団的自衛権を決して許してはいけない、何があってもこれに歯止めをかけなければいけないという立場で、断固として反対し続けました」。
国民の間で賛否が分かれた安保法制(政府与党は平和安全法制と呼ぶ)は、公明党に配慮したものであり、フルスペックのものではないということになる。
14年7月の閣議決定で3要件が定められた。日本への武力攻撃が発生した場合だけでなく、日本と密接な関係にある他国に対する攻撃が発生した場合でも、それにより日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される「明白な危険」がある場合に限って「自衛の措置」をとることが可能となった。しかし、自衛権の発動に当たっては、国の存立を全うし国民を守るために、他に適当な手段のない場合にのみに限定し、あくまで「専守防衛」「自国防衛」に限るものとされた。
公明党は、憲法9条を遵守することにこだわった。この機会に憲法改正まで一気に進みたかった安倍首相ら自民党保守派などにとっては足枷ともいえた。公明党・創価学会が信頼関係を築いて菅・二階ラインは憲法改正にはどちらかといえば消極的であった。ただ、安保法制は国民の批判を受けながらも最終的に成立した。
公明が主導した一律10万円給付
新型コロナウイルス感染症に際して、ワクチン接種の推進やPCR検査の保険適用など公明党が自民党に働きかけたことで実現したが、なかでも国民一律の10万円給付は公明党抜きにはありえなかった。
安倍政権は、20年4月16日、緊急事態宣言の対象を全国に適用し「困窮世帯に30万円」としていた現金給付を「全国民一律1人10万円」に大転換した。異例な補正予算案の組み替えが行われたが、この背景には公明党の動きがあった。
安倍首相や麻生財務大臣、岸田自民党政調会長は、生活困窮世帯に30万円という方針を示していた。しかし、二階氏が同14日の記者会見で「1人10万円」の給付案を表明すると山口那津男公明党代表が呼応。15日に官邸において安倍首相に直談判し、国民一律の給付金支給へと転換した。
もともと、公明党は政府の超大型経済対策取りまとめの段階で、一律10万円給付を主張していた。その後、安倍首相らの方針を了承したが、給付条件の厳格化などで対象が全世帯の2割程度に絞り込まれたことに世論が沸騰。公明党支持層から、「公明党は何をやっているのか」との抗議が殺到した。安倍政権の発足以来、安保法制への賛成などで、公明党の岩盤支持層といってよい創価学会婦人部を中心に不満がたまっていたことも大きい。
そこで気脈を通じていた二階氏に呼応し、一律10万円給付の実現にこぎつけた。コロナ禍で疲弊した多くの国民は一律給付に安堵し、10万円給付で助かった自営業者は少なくない。公明党は「飲まないなら連立離脱も辞さない」と警告したともいわれ、このころから自公関係が微妙なものになっていった。
麻生氏や岸田氏の面子は潰されたうえに、政敵といってよい二階氏が主導した方針転換は、尾を引くことになった。
福岡県議会で激化した自公対立
公明党は自民党と協調するようにみえて、実際には独自の動きも行ってきた。その最たる例が、今年4月の福岡県議会議員選挙の複数の選挙区において、自民党現職の対抗馬の推薦・支援を行ったことだろう。当時、自公間では次の衆議院選挙の候補者調整をめぐり、公明が東京での選挙協力を解消すると宣言するなど対立が激化していた。
なかでも公明党県本部が自民現職で県連常任相談役の藏内勇夫氏の対抗馬を推薦した筑後市選挙区は大激戦となった。20年ぶりの選挙戦ということもあり、危機感を感じた藏内氏は連日街頭に立ち、若者と語るミニ集会を若手議員と開催するなど、必死の戦いを展開した。麻生副総裁の元秘書で、筑後市議会議員も務めた島啓三氏は「本当に、どうなるかわからんから、毎日が戦いだった」と振り返る。
公明党が4月の統一地方選挙で自民党公認の現職を応援せず、対抗馬を推薦したことの余波は続いている。自民党福岡県議団所属の議員は、「市議会レベルでは公明党とは問題ないですが、県議会では公明党と自民党執行部は対決路線になり、根回しが行われなくなりました」と語る。福岡県議会においては、4月の改選後、常任委員会の委員長ポストから公明党は外され、県政与党から外れた状況にある。
自民の公明離れと国民民主への接近
自公関係の軋みについて、政策面ではコロナ対策において現れたが、選挙では16年の参院選まで遡る。自民党本部は1人区で自民候補が公明から推薦を得ることをバーターに、複数区において公明候補の推薦を決定した。結果として自民票の一部が公明に流出した。
福岡県選挙区は16年に2人区から3人区に変更された。公明党は元外務省職員・高瀬弘美氏を公認候補として擁立し、自民党も推薦した。その結果、元民放アナウンサーで民進党(当時)新人の古賀之士氏がトップ当選となり、自民党公認の大家敏志氏は、2位に甘んじることになった。
19年の福岡県知事選挙において、武田良太氏や鬼木誠氏など一部の国会議員は、公明党や旧民主系とともに現職の小川洋氏を応援し、県連が推薦した武内和久氏(現・北九州市長)を支持しなかった。自民党内の勢力構図も公明党との距離感の違いが出ている。
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自公間の選挙協力の継続をめぐり、岸田首相(自民党総裁)と山口代表が話し合い、与党として議席を最大限獲得するべく選挙協力を復活させることで合意するなど、関係は修復に向かうかに見えた。
しかし、先月の内閣改造で前参議院議員(国民民主党)の矢田稚子氏が労働政策担当の首相補佐官に起用されたことが波紋を広げている。矢田氏は1984年に松下電器産業(株)(現・パナソニック)に入社。2016年の参院選比例区に連合傘下の労組「電機連合」の組織内候補として当時の民進党から出馬し、初当選。22年の参議院選挙では落選していた。
矢田氏の起用を推進したのは麻生氏と茂木氏で、岸田首相も積極的だったという。山口代表は「総理が任命した意図に従ってどう生かしていくか。総理のやり方を見ていきたい」と語っているが、心中は穏やかではないだろう。複数の政界関係者は「矢田氏の起用は麻生さんの意趣返し」と語っており、自民党内の勢力争いであると同時に公明党を牽制する狙いがある。
今月12日、政府は世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)の解散命令請求を決定した。被害者救済が進むことが期待される一方で、自民党と教団の関係は現在もうやむやのままである。解散請求を通じて、公明党と創価学会を牽制する狙いも見え隠れしているが、民生の安定が政府の本来行うべき政治の本義であり、政争に利用するようでは、いずれしっぺ返しを受けることになる。
【近藤 将勝】
法人名
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