2024年07月27日( 土 )

反イスラエルのユダヤ人たち

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

 ニューヨークやロンドンには正統派ユダヤ教徒がおり、彼らはイスラエルという国家を徹底否認している。建国の思想シオニズムはナショナリズムであり、ナショナリズムはユダヤ教の根幹に抵触するという理由からだ。他の民族はともかく、ユダヤ人だけはナショナリストになってはならない、ディアスポラ(=離散)こそがあるべき姿と捉えているのである。

 「そんな馬鹿な。ユダヤ人も一民族として自らの国家をもつべきではないか」というのがシオニストの考えである。ナショナリズムには国家主義と民族主義の両方の意味があるが、シオニズムはなにより民族主義であり、それに基づいてイスラエルという国家が建設された。

 正統派ユダヤ教徒は「イスラエルによるパレスチナ人への処遇は犯罪にほかならない」という。離散したユダヤ人はアラブ諸国に温かく迎えられてきたのに、「なんという恩知らず」だと。彼らによれば、ユダヤ人は「神の民」だから国をもてない。一種の選民思想がそこにはある。

 この思想からすれば、イスラエル建国はユダヤ人自らが選民思想を捨て、世界の諸民族の1つに格下げしたことを意味する。しかも、そうでありながら、イスラエルがなお自らをユダヤ人国家と規定するなら大変な矛盾をおかしていることになるのである。

 確かにイスラエルはその建国の理念からして矛盾がある。歴史のなかにありながら、神の国であろうとするからである。同じ矛盾は明治日本にもあった。明治政府は日本を近代国家にしようとしつつ、そこに神性をもたせ、他の諸国との差別化を図ろうとしたのである。

 この種の矛盾が自らを高揚させることはあり得る。しかし、それは決して長くは続かず、それを維持しようとすれば危険な心理状態に陥る。日本の場合は大日本帝国という妄想に駆られ、イスラエルは大イスラエル主義に駆られている。こうした国家的妄想は必然的に戦争をもたらす。

 イスラエル批判は非宗教的ユダヤ人も行っている。その筆頭は世界的に著名な言語学者ノーム・チョムスキーである。彼は1967年以降のイスラエルにとくに注目し、そのころからアメリカがイスラエルの後ろ盾になったことを重視する。その時からイスラエルの本質が変わったというのだ。

 彼の批判の矛先はイスラエルそのものより、この国を支援することで中東での影響力を拡大しようとするアメリカに向けられている。国際政治の問題点を明るみに出した慧眼というべきもので、拝聴に値する。

 イスラエルの歴史学者イラン・パペは、イスラエルという国が形成された1947−48年を重視する。このときにパレスチナ人に対する「民族浄化」が始まったというのだ。彼の批判は過激だが、彼自身もかつてイスラエル軍に属していたこともあって、イスラエル国内でも影響力をもっている。イスラエル政府はそのような人物は「国賊」であると見なし、事実上国外追放にしている。

 「民族浄化」はナチスがユダヤ人に対して行ったことである。それを今やユダヤ人がパレスチナ人に対して行っているというのがパペの主張だ。それなのに、欧米諸国は目をつむっている。「21世紀にもなるのに、あり得ることなのか」と彼は呆れている。

 同じ発想はアメリカの歴史家ノーマン・フィンケルシュタインにもある。両親がアウシュヴィッツを生きのびたユダヤ人であるため、彼にはホロコーストのトラウマがのしかかっている。彼はいう。「ホロコーストから解放される唯一の道は、虐げられている人々の味方になることだ」と。ガザ地区の実情を詳しく調べ、それがアウシュヴィッツを模したものだと告発し、ユダヤ人はパレスチナ人の味方になるべきで、これを敵と見なしてはならないというのだ。

 フィンケルシュタインが学生を相手にガザの惨状を訴えているビデオを見たことがある。10年以上前のものである。質疑応答の時間に、ある女子学生が涙ながらに「あなたはイスラエルばかり責めている。イスラエルはホロコースト経験者が集まってつくった国だということを忘れていませんか」と抗議した。すると彼は激しい口調でこう返事をした。「そんなうそ泣きはやめなさい。ホロコーストを口にするなら、言っておくが私の両親はホロコーストを何とか生き延びてアメリカにきた。私はあなたのようにホロコーストを簡単に口にして御涙頂戴をすることには、断固として反対だ。泣きたいのなら、イスラエルのためにではなく、パレスチナのために泣きなさい」と。

 この歴史学者には誠実さと勇気があることは間違いない。しかし、それだけではなく、どことなくイエス・キリストの風がある。多くのキリスト教徒は知らないふりをしているが、イエスはユダヤ人であったし、ユダヤ教を改革しようとした人であった。ユダヤ人のなかには、たとえばスピノザのように多くの同胞から嫌われるような人物が時として現れるが、フィンケルシュタインもその1人であるようだ。


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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