2024年07月27日( 土 )

日米関係の文化的側面(前)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

日米関係 イメージ 日本敗戦の3年後に生まれた私は、75歳の今になって己の幼少時を思い出し、日本の戦後とはなんだったのかと考えてしまう。

 私が勤めた大学で、私よりひと世代若い女性教授が、「今さら戦後だなんて。もうとっくに終わっちゃってるのに」と平然と言っているのを聞いたときは、さすがにショックだった。

 「冗談じゃない、今だって米軍基地が日本のあちこちにあるではないか。これをどう説明するんだ。沖縄の問題を見るだけでも、戦後が終わっていないことは明らかではないか」そう思ったのである。

 他方、佐賀牛の価値を世に知らしめたいと思っている肉バルの店主は、「国産牛の値段が高騰するのは、いまだにアメリカが日本に牛肉の輸出を強要しているからで、これは日本がアメリカに戦争で負けたせいなんです」と言っている。やっと40歳になったばかりなのに、日本の敗戦を口にしているのだ。

 つまり、日本の戦後をまざまざと意識している人もいれば、ノー天気に「戦後などとっくに終わっている」と口走る大学教授もいるということで、これが今の日本なのであろう。

 そんなことを思っていた矢先、豊下楢彦氏の『安保条約の成立』と『昭和天皇・マッカーサー会見』をたて続けに読んだ。日本の戦後史を理解するうえで最も重要なテーマに正面から挑んだ2冊で、現代日本人にとっての必読書といってよい。

 氏は入手できるかぎりの貴重な文献資料に基づき、現代日本の根本問題を徹底して分析している。それによって、それまで知られていなかった歴史事実が明らかになるだけでなく、1つのスリリングな物語が展開されるのである。読んでいて「これはためになる」と思う一方で、実に面白い読み物だと思わざるを得ない。

 とはいえ、歴史家としての氏を褒めたたえるのが本稿の目的ではない。ここでは、氏が触れていない日米文化の違いの方に眼を向けたい。歴史家にとって、実証性の乏しい比較文化論は曖昧すぎて信用するに値しないのかもしれない。比較文学者の私には、文化的要素こそ重要なカギで、これを押さえないと歴史がわからなくなるのだが・・・。

 日本の連合国との戦いは、1945年の無条件降伏によって終った。その後の日本は基本的に日米関係によって決定づけられてきたと言ってよい。どのような国家間の関係もそうであるように、そこには少なからず文化的伝統の違いが反映される。ところが、この文化的側面が、えてして歴史家によっては論じられないのである。比較文化論は政治問題とは切り離されてきた。

 しかし、たとえばこういう話がある。確かニューヨークであったか、偶然知り合った日本人商社マンがこんなことを言っていた。

「アメリカって国は、とにかく相手の隙を突いて攻撃するのが得意でね。今でも日本といえばパール・ハーバーと決まっていて、日本が理由もなくアメリカを攻撃したという話が国民の常識として出来上がってるんです。誰もこれを疑わない。疑えば、国是が崩れるからです。ところが、あれは西部劇にあるように、拳銃使いが相手を挑発し、相手が拳銃に手をかけたら撃ち殺すというやり方だったんです。日本もこの手に引っかかり、奇襲のつもりだったのに、アメリカは待ってましたとばかりに反撃を加え、ついに広島・長崎に原爆を撃ち込んで降伏に追いやったんです」

 彼の話がどこまで妥当性をもつのかは問うまい。要は、太平洋戦争におけるアメリカの戦術がアメリカ文化の伝統に則ったものであり、日本はその文化を知らなかったために挑発に乗ってしまったという点である。これは異文化理解の不足を露呈したものといえる。

 アメリカ側の日本への挑発とは、歴史的文脈でいえば、日本への厳しい経済封鎖を意味する。日本はアメリカが新興大国であることはわかっていたが、その挑発に我慢できず、ついに真珠湾奇襲作戦に出たのだ。

 では、その奇襲に効果はなかったのかといえば、かなりあったと言うべきだろう。だからこそ、全米が「打倒日本」に燃え立ったのだ。日本には日本の戦争文化があり、相手の戦力の要となっている部分を集中的に攻撃するという方法を一貫してとっている。たとえばフィリピンで日本軍と戦ったマッカーサー軍は、零戦による不意打ちに対処できず、一時は劣勢に立たされたのである。不意打ちこそは、日本が戦国時代に培った戦法であった。

 上記の例が示すように、戦争といえどもそこに文化が反映される。戦争とは文化と文化の戦いでもあるのだ。戦争がそうであれば、和平の仕方にももちろん文化が現れる。そのことを、先述の豊下氏の論に沿ってこれから考えていきたいと思う。

 断っておくが、本稿の目的は豊下氏の論に異議を唱えるものではない。むしろ補足といってよい。私たちは歴史のなかにいるが、同時に文化のなかにもいる。そのことを喚起したいと思うのだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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