2024年11月05日( 火 )

ニトリ社長に似鳥氏が復帰 創業者が終身社長にこだわるワケ(前)

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 忍法に「分身の術」がある。1人が複数人いるかのように見せかける術のこと。実業の世界でも「分身の術」がある。創業者が、これぞと思う人物に事業を託す。だが、創業者とその「分身」である後継者との関係性が微妙になり、経営がぐらつく。創業者として実績があるゆえに、「自分ならもっとうまくやれる」と考えて、社長として現場に舞い戻る。

ニトリ創業者の似鳥氏 10年ぶりに社長に復帰

社長の椅子 イメージ    創業者が10年ぶりに最前線に戻ってきた。家具・インテリア製造小売大手のニトリホールディングス(HD)では2月1日、創業者の似鳥昭雄氏(79)が事業会社ニトリの会長兼社長に復帰した。似鳥氏はニトリHDの会長は続投。事業会社ニトリの前社長武田政則氏(58)はニトリHDの副社長に就き、海外事業に専念する。

 似鳥氏は2014年に事業会社ニトリ社長、2016年には持株会社ニトリHD社長を退き、ニトリHDの代表権のある会長としてグループ全体を率いてきた。

 似鳥氏が「分身」として事業経営を託したのが、白井俊之・ニトリHD社長(68)。白井氏は北海道の出身。79年、宇都宮大学工学部卒。大学では化学を専攻していたがニトリが就職誌に載せていた「完成されたものほど、つまらないものはない」という言葉に共感し、畑違いの家具販売会社に入社した。ニトリが、まだ北海道の家具専門店だったころのことだ。

 倉庫係からスタートし、20代半ばで店長を任された。当時としては異例だった店舗独自の仕入れを行うなど、アイデアマンとして頭角を現した。14年に事業会社ニトリの社長を任され、中国に進出。店舗の確保、現地社員の雇用や教育、運営指導などの実務全般を仕切った。白井氏は中国進出を、迅速にやり遂げた。これが「分身」として社長の椅子を託した理由だという。

「政治」のタニマチに軸足を移す

 経営の第一線から退いた似鳥氏は、この間、何をしていたか。「政治」に軸足を移す。政治・経済情報サイト「ビジネスジャーナル」は『ニトリ会長、安倍政権に多額献金の親密関係』(17年5月18日付)と報じた。

 安倍晋三首相(当時)と東京都の小池百合子知事、小泉純一郎元首相が17年4月18日夜、東京・赤坂の料亭で同席するひと幕があった。

 〈小泉元首相や自民党の二階幹事長、小池百合子・東京都知事ら小泉政権の主要メンバーが18日夜、東京・赤坂の日本料理店で会食した。(中略)会食には、自民党の山崎拓元副総裁、武部勤元幹事長も参加。(中略)また、同じ店で財界人らと会食した安倍首相が宴席に顔を出し、あいさつを交わしたという〉(読売オンライン、17年4月19日付)

 テレビと新聞は、これを大きく報じたが、経済界が注目したのは、安倍首相と会食した財界人の名前。17年4月18日の安倍首相の首相動静には、こうある。

 〈午後8時4分、東京・赤阪の日本料理店「津やま」着。似鳥昭雄ニトリホールディングス会長、長内順一元衆院議員と会食。午後9時45分、同所発。午後10時1分、私邸着〉

 似鳥氏が時の首相と会食できるほどの「大物財界人」だったことが驚きを与えた。同席した長内氏は北海道選出の衆議院議員(新進党)を辞めた後、北海道学園大同窓という縁もあって、ニトリHDの顧問を長く務め、中央政界や地元財界とのパイプ役をはたしたとされる。16年から北海道の若手経営者を対象にした「経営未来塾」を開校した。

(つづく)

【森村 和男】

(中)

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