東電法的整理を葬った主犯
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NetIB-NEWSでは、政治経済学者の植草一秀氏のメルマガ記事を抜粋して紹介する。今回は「能登半島地震は脱原発への『天の最後通牒』」と指摘する3月11日付の記事を紹介する。
東日本大震災・フクシマ原発事故から13年の時間が流れた。そして、2カ月前に能登半島地震が発生した。マグニチュード7.6、最大震度7の地震だった。最大震度を観測したのは石川県志賀町領家(りょうけ)と輪島市。志賀町には北陸電力志賀原子力発電所が所在する。
この地震で志賀原発の変圧器が故障して油が漏れ、外部電源5回線のうち2回線が使用不能になった。1月16日の余震後には1号機の非常用発電機3台のうち1台が試運転中に自動停止した。京都大学原子炉実験所元助教の小出裕章氏は中日新聞のインタビューで次のように指摘した。
「志賀原発が10年にもわたり停止していたことが何より幸いだった。原発の使用済み燃料は発熱しているが、10年経つと発熱量は運転停止直後に比べ、千分の1以下に低下する。今回の地震で志賀原発は外部電源の一部系統が使えなくなり、非常用発電機も一部停止した。稼働していたら、福島第1原発と同様の経過をたどったかもしれない。」
志賀原子力発電所が運転中であったなら、極めて重大な事態に直面した可能性が高い。小出氏は原発運転中の地震災害に関してこう述べる。
「出力100万kWの原発の場合、原子炉のなかでは、ウランが核分裂して3倍の300万kW分の発熱をしている。大地震の際は制御棒を入れて核分裂反応を止めるが、実は300万kWのうちの21万kW分の発熱は、ウランの核分裂で出ているわけではない。それまでに生成された「核分裂生成物」が原子炉の中に膨大にたまっており、「崩壊熱」を出している。制御棒でウランの核分裂反応を止めても、21万kW分の崩壊熱は止められない。膨大な発熱だ。福島でも核分裂反応は止まったが、崩壊熱を止めることができないまま、電源が何もなくなり、冷やせないために炉心が溶けて、(放射性物質が)大量に出てしまった。」
運転停止から10年が経過した原発と、運転中の原発との間には比較にならない大きな差が存在する。北陸電力志賀原子力発電所では変圧器が損傷し、外部電源の一部が絶たれた。わずか13年前、日本は2011年3月の東日本大震災によって人類史上最悪レベルの重大な原発事故を経験した。
いくつもの奇跡が重なったために原子炉大爆発を免れた。原子炉大爆発が生じていれば東日本は壊滅したと考えられる。2カ月前の能登半島地震は「天の最後通牒」である。
※続きは3月11日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「原子力緊急事態宣言発令中」で。
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