経済小説『落日』(20)カリスマ
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谺 丈二 著
地響きのような太鼓と読経のなかで全員が正座、低頭している。井坂はそっと腕の時計を見た。午前5時半。真冬の冷気が木枠の硝子戸の隙間から容赦なく忍び込んでくる。太鼓の音がなければ辺りは早暁の静寂に包まれているはずである。
ひとしきり続いた読経と太鼓の音が止んだのは開始からかれこれ一時間が過ぎたころだった。
「おはようございます」
本来の静寂が戻ったしばらくの後、やや低い、しかしはっきりした朝の挨拶の声が堂内に響いた。続いて大きな声の塊がそれに応える。
仏教を基盤にした経営。それが朱雀の考え方の基本だった。月に一度の朱雀屋の幹部会は研修所に隣接したお寺の本堂でのおまいりと称する早朝勤行で始まる。
「ご面倒でしょうが明日の店長会議にご参加いただきたいと社長が申しております。5時にお迎えに上がりますのでよろしく」
わざとらしい馬鹿丁寧な口調で朱雀の意向を伝えたのは牧下だった。
「牧下君、経営と宗教は別物だよ。しかも夜明け前に半ば強制となるとこれはもう普通じゃない」
午前5時と聞いて井坂は苦笑した。
「私だってやりたくありませんよ。亭主の好きな赤烏帽子ですよ」
牧下が口をゆがめた。
「そんな意味のないことを君たちはもう何10年もやっている。気持ちのこもらない祈りは逆に神仏に失礼だ」
その後、井坂がこのお参りに参加することはなかった。もちろん、井坂は無神論者ではなかった。ある面で経営に祈りが必要なことも知っていた。しかしその神仏観はあくまで敬意の対象であり、祈念の対象ではなかった。加えて、過度の宗教への傾斜は現実感覚と自助努力を失う。幹部会のお参りはもちろん過度の宗教への傾斜というものではないものの、規律と自己責任感のある組織への転換には弊害をもたらすというのが井坂の考えだった。さらに、お参りは見方を変えれば朱雀そのものでもある。これを否定するということは、間接的に朱雀を否定するという意志表示にもなる。
井坂はことあるごとに幹部社員に対し、早朝のお参りには参加しないよう遠まわしに働きかけた。しかし、その後も幹部のほぼ全員が井坂の意向を無視し、早朝のお参りに参加を続けた。
(つづく)
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