2024年12月23日( 月 )

経済小説『落日』(28)スケープゴート2

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

谺 丈二 著

「一体何があったんですか?」

 軽いノックとともに入ってきた場違いな明るい声に一茂は思わず顔を上げた。
 そこには石井一博の笑顔があった。

 一茂と同い年で関連会社の役員をしている。かつては朱雀屋のなかで売上1、2を争う大型店の店長だったが、だれかれ構わず思ったことをずばずば言う性格が災いしてか今はF市に本社がある子会社の食品スーパーに転籍していた。

「おお、石井ちゃん、久しぶりだね」
「最近変わった座敷牢ができたと聞いたんで見に来ました」
「そうなんだよ。いわゆる軟禁、監視状態でね」

 一茂はシルバーのメタルフレームの眼鏡越しに笑顔で軽口をたたきながらデスクの横にある簡易応接セットに石井を促した。

 フロアの奥にあるかつての役員室に比べるとその安っぽさは目を覆いたくなる。部屋の前には秘書課が配置され、秘書室長の席が安普請の専務室の正面にある。

「なるほど。こうしておけば誰がいつ専務に会いにきたか一目瞭然だ。いじめと情報収集、一挙両得ですね」

 大きな声でそういうと石井は布張りのソファーに腰を下ろした。無機質な部屋の体裁を整えるように仕切り壁に無名のリトグラフがかかっている。

「しかも隣は牧下専務ですか。これじゃこの部屋の出来事は井坂社長に実況中継されているようなものですね」

 石井は牧下の部屋に向かって聞こえよがしに大きな声で言うと一茂に向かって片目をつぶった。

 一茂の部屋に入るときドアを開け放したままの牧下と目があった。お互いに胡散臭そうに視線を交わして茂の部屋のドアノブに手をかけた石井だった。

 朱雀一茂だけを特別扱いというわけにもいかなかったらしく、社長を除くほかの役員も同じように管掌部署の一角に部屋が与えられていた。営業本部と開発本部は同じフロアにあった。一茂の部屋を真ん中に両側を牧下と沖松の部屋が挟んでいる。沖松は外出しているらしく、入り口に不在のプレートがかかっていた。

 石井の来訪を見て2人の会話に聞き耳を立てようとしていた牧下が石井の皮肉にバツが悪くなったのかこれ見よがしに強くドアを閉めて部屋を出て行く音がした。

イメージ

 牧下にとって、歯に衣を着せない石井はどうしても好きになれないタイプだった。情緒的な牧下の業務指示に対して、石井は常に数値と状況分析で抵抗した。牧下が主管する店舗の開発に関しても石井は一歩も譲らなかった。

 開発担当の牧下としてはいかに店舗の建設コストを低くするかが主眼であり、最優先すべきロケーションや店舗デザインは二の次というのが基本姿勢だった。営業本部を率いる沖松はあえて牧下とことを構えたくないらしく、開発本部の方針に従うというのがその基本姿勢だった。一方、石井は店長時代から単に経費を安く上げるだけではなく、顧客重視の店舗や売場づくりをすべきだというのが持論だった。

 顧客は価格や商品そのものだけでなく、売場デザイン、色彩、設備などを意識して購買を決める。そのための投資は最低限必要であり、顧客心理に基づかない不本意な店づくりをされてその結果責任を営業部隊が負うのは不当だと主張した。2人の意見は新しい店づくりや店舗改装で鋭く対立することを繰り返した。

 石井が新しい提案をするたびに、牧下は全力でそれを阻止しようとする。しかし、職位が低いながらも、数値とともに対等な言葉で鋭く持論を突き付けて牧下に計画変更を迫る石井を社内は『牧下の天敵』と皮肉をまぶして評した。

「時にその頭は?」

 朱雀一茂は白髪交じりの頭髪を短く刈り上げていた。以前の七三に分けた髪型を知る石井がいたずらっぽく笑った。

「ああ、そろそろ仏門にでも入ろうかと思ってね」
「なるほど、もともと専務は俗世間には不向きな性格ですからね。悪い選択じゃないかも」

 石井は軽口をたたいた。

「相変わらずはっきり言うね。真実は人を傷つけるというよ」

 一茂は眩しそうな目をしながら以前に比べると幾分細った頬に笑い皺を寄せた。

「一応、専務が元気そうで安心しました」
「それはそうと、ここに表敬に来ると後で痛い目に合うらしいけど大丈夫かな?」
「らしいですね。役員さんの電話は皆、秘書室通し。身内の幹部まで検閲とはまるでどっかの国も同然ですね。でも、そんなことをして何の意味があるんですかね」

(つづく)

▼関連記事
経済小説『落日』谺丈二著 あらすじ・登場人物

(27)
(29)

関連キーワード

関連記事