2024年11月23日( 土 )

経済小説『落日』(30)スケープゴート4

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谺 丈二 著

 時代、組織を問わず現状を否定するということは既存権力を否定することと同義である。しかし、なぜか役員たちはあからさまにそれに反論しなかった。その理由は指摘がほぼ的を射ていたからだった。反論し、墓穴を掘るより、黙殺したほうが無難と判断したからに他ならなかった。

 そんななかでただ1人、際立って怒りをあらわにしたのが朱雀剛三だった。朱雀は石井の暴言ともいえる表現を無礼千万と叱責し、同時に役員に詫びた。朱雀からの擁護発言があって、初めて役員たちから発言を取り消せという言葉が出た。そのとき、石井はその声を無視してさっさと自席に戻り、それっきり沈黙した。当然、プロジェクトチームの提言が日の目を見ることはなかった。

 時流という環境と組織の意思が整わない限り、1人リーダーがどんなに思いを傾けてもそれが実現することはない。その日から今日まで一茂の胸のなかでは慙愧のしずくが滴り続けていたはずである。

 かつて父親に抗議して自宅にこもり、その強引で荒削りの経営手法に抗議したことまである一茂だったが、剛三は頑として一茂の意見を聞き入れなかった。そんなとき、周囲は当然のことながら剛三を説得する代わりに一茂に妥協を迫るのが常だった。

 『あんたは息子だからそういうわがままができる』気を利かせたつもりで説得に訪れた銀行出身の役員の言葉に、一茂が返したのは『息子だからこそ本当に心配しているんだ』、という当事者としての一言だった。

 悲観的な状況のなかで当事者として組織に責任をもつになるにはそれなりの覚悟が必要だが、朱雀屋の幹部にそんな覚悟のある人間は少なかった。

 人が持つ誠意の最優先の対象はいうまでもなく自分自身である。如何に社会とか顧客とはいっても突き詰めればそれは自分と家族の暮らしのためというところに落ち着く。朱雀屋のなかで剛三にたてつくことは自分の地位を捨てることでもある。上位幹部になればなるほどその地位を守ろうとするのは当たり前だった。

 朱雀剛三は自分の信念の正しさをひたすら信じ、それを素直に実行する部下を重用した。部下は部下で盲目的に朱雀に従い、凭れかかった。そして、朱雀屋は一茂の心配した通りの結果になった。

 井坂太一は朱雀剛三のワンマン経営に代わるものとして組織経営を標榜した。銀行にならい組織を改編し、役職呼称も銀行形式に改めた。経営手法の転換をかたちの上でも気持ちのうえでも社内に徹底したかったからだった。井坂は彼なりに朱雀屋に対する熱い思いをもっていた。しかし、その思いはなかなかかたちにならなかった。

 誰もが知る通りかたちの上での組織をつくるのは容易である。だが、組織をうまく活用し、思い通りの結果を出すにはそれなりのプロセスとスキルが要る。しかし、その仕事人生のほとんどを銀行で過ごした井坂と犬飼に、小売の運用スキルの持ち合わせは無かった。こんな場合には、社の内外を問わず能力とスキルを持つ人間を求め、権限委譲をしながらその仕事ぶりをつぶさに見守ることが経営者として最善の方法である。もちろん、それにはその仕事ぶりの良し悪しを判断する能力と酒づくりにも似た、醸すという時間と気持ちの余裕が要る。醸す時間は言いかえると辛抱でもある。しかし、できるといわれる人間に限って、辛抱の手持ちは少ない。

 井坂も犬飼も優秀、いわゆるできる人間だった。当然、より速い果報を欲しがった。

 井坂はことあるごとにスピードを口にし、犬飼もそれに同調した。スキルやプロセスを、ただやみくもに納期を急がせる手法があらゆる部署の提案、実行に影響した。

 致命的だったのはあまりにも短期的業績改善に固執したため、じっくり検討すべき長、中期の経営戦略をきちんと検討できなかったことである。

 犬飼は武本など、ごく少数の若手取り巻きに重要な計画とその実行を任せた。俗に上は下を見るのに3年かかるが、下が上を見るのには3日もあれば十分といわれる。これは、リーダーの近くにいる人間ほどその価値に合わせて同質の仮面をかぶるのが簡単ということでもある。

 井坂の思いを配慮した彼らによって重要な問題を明確にし、それを共有しながら解決に取り組むという本来あるべき手法は見事に省略された。

 朱雀屋のなかには拙速が蔓延り、それが業績の改善とは逆に停滞、下降に拍車を掛けた。その繰り返しの結果、朱雀屋の決算は期末を迎えるたびに違法すれすれの財務的処置で何とか黒字を計上しなければならないレベルにまで悪化した。

(つづく)

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