2024年12月22日( 日 )

【回想】ネットバブルの寵児・SB孫正義氏、光通信重田康光氏(前)

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 東京株式市場は、「バブル超え」の株高に沸いている。日経平均株価は34年ぶりに史上最高値を更新、4万円の大台を突破した。米国市場の人工知能(AI)ブームを受けて、半導体製造装置の東京エレクトロンや半導体検査装置のアドバンテストなどの半導体関連株が人気を集めた。まさに「半導体バブル」だ。
 20数年前、「ネットバブル時代」というものがあった。今回はバブルの寵児・ソフトバンクと光通信を例に「ネットバブル時代」を振り返ってみることにする。

光通信の子会社が連結納税乱用

「連結納税「乱用」初の認定、光通信子会社70億円申告漏れ」
 『朝日新聞』(3月20日付朝刊)が社会面のトップ記事で報じた。

 通信回線サービス「光通信」(東京都豊島区)の子会社「インテア・ホールディングス」(東京都中央区、20年に解散)が、親子会社間で黒字と赤字を通算できる連結納税制度を乱用したとして、東京国税局から約70億円の申告漏れを指摘された。追徴課税(更正処分)は過少申告課税を含め2019年6月期までの2年間で約16億円とみられる。この制度を乱用したとする追徴課税が明らかになるのは初めて──という内容だ。

 (株)光通信の重田康光会長兼CEO(59)と、ソフトバンクグループ(株)の孫正義会長兼社長(66)は、あのネットバブル時代の寵児だった。

ディスコ「ヴェルファーレ」で行われた「ビットバレー」の総集会

六本木の夜 イメージ    日本中にバブルの熱波が襲った。あのころ、日本経済の繁栄は永遠に続くかに見えた。しかし、それが文字通り「うたかた(バブル)の夢」だったことはいうまでもない。

 有森隆著『ネットバブル』(文春新書)を基に、バブルの栄光と転落の歴史を振り返ってみよう。同書のなかから、一部抜粋・要約する。文中の敬称は略。

 2000年2月2日、東京・六本木のディスコ「ヴェルファーレ」。「ビットバレー」の総集会が開催され、2,000人超のIT関係者で埋め尽くされた。ソフトバンク社長の孫正義が、スイスの世界経済フォーラム・ダボス会議から3,000万円で飛行機をチャーターして到着すると集会は最高潮に達したという。

 1999年2月、渋谷周辺のベンチャー企業の経営者らが、有能な起業家を輩出しようとする活動「ビッドバレー構想」を発表した。渋谷の地名から(渋:Bitter)と(谷:Valley)をかけて命名された。当時、インターネット企業への出資は相手にしてもらえなかったため、インターネットの凄さを提唱しようとして始まった。集会には、証券会社やベンチャーキャピタルの投資家が集まった。

ネットバブルの始まりは孫の「ナスダック・ジャパン」構想

 99年6月15日、ソフトバンク社長の孫正義は米店頭市場「ナスダック」を運営する全米証券業協会(NASD)のフランク・G・ザーブ会長兼CEOと共同記者会見を行い、ナスダック・ジャパンの設立構想をぶち上げた。ナスダックといえば、マイクロソフト、インテルなど、今をときめくハイテク企業が株式を公開している米国の店頭市場だ。

 その日本版をつくるというのがナスダック・ジャパン構想である。ベンチャー企業を育成するために、米国同様、創業から数年の赤字企業でも上場できる新しい市場を創設する、という触れ込みだった。

「日本には存在しないサービスと、新しい投資スタイルを提供する。限りなくナスダックに準拠したルールにし、規則さえ満たせば、どんな企業でもどんどん公開させる」
 孫は、高らかにこう宣言した。

赤字でも株式公開できることを実証したグッドウィル

 同年6月29日、ソフトバンクが開いたベンチャー企業向け説明会に、ナスダック・ジャパン予備軍のベンチャー起業家たち約1,400人が参加した。短期間で株式公開の道が開けることに強い期待を抱く若い参加者たちの熱気に包まれた。

 それから1週間後の7月7日。引っ越しやイベント準備などの軽作業を請け負うグッドウィル・グループが店頭公開した。グッドウィルは日本証券業協会が株式公開基準の規制緩和策として打ち出した「店頭第2号基準」適用第1号となった。公開前、「赤字会社に値が付くか」と危ぶまれていたが、初値は公募価格の3.3倍の2,300円(額面5万円)になった。

 設立4年5カ月の赤字会社でも株式が公開でき、しかも、株価が予想外の高値を付けることを実証した。日商岩井(現・双日)の社員時代にジュリアナ東京を企画し、90年代の大規模ディスコ・ブームを演出した会長の折口雅博は、一躍、ベンチャー起業家のスターになった。

ソフトバンク株の時価総額、トヨタを抜き日本一

 孫のナスダック・ジャパン構想と、折口が店頭市場での株式公開を果たしたことがネットバブルに火をつけた。東京証券取引所はナスダック・ジャパンに対抗するため、創業間もないベンチャー企業でも株式が公開できる新市場・マザーズを同年11月に開設した。

 公開基準の緩和で、公開意欲を刺激されたネットベンチャーに機関投資家がこぞって投資。規制緩和が呼び水となって、新しいビジネスに資金の流れ込みが始まった。経済雑誌には「IT革命」「eビジネス」の記事が躍り、新しい産業の到来を告げた。

 社名に「ドット・コム」を付ければ、いくらでも資金を引き出せるという笑い話さえ生まれた。ベンチャー起業家は事業よりも株価の値上がりに熱中するようになった。

 株価が高騰したのは、新産業への熱狂だけではない。証券会社や外資系証券会社のアナリストに先導されたマスコミが悪乗りした結果、沸点が跳ね上がりマネーゲームへと質的に転化してしまったのだ。

 2000年2月15日。ソフトバンクの株価は19万8,000円の史上最高値をつけた。時価総額は21兆円を超え、トヨタ自動車を抜いて日本一となった。ネットバブルの天井だった。

(つづく)

【森村 和男】

(後)

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