2024年12月23日( 月 )

経済小説『落日』(58)決意1

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谺 丈二 著

「思い切ってやるしかないか・・」

 頼りない矢島の態度も手伝って、大川は意を決した。業績の不振、社員の高齢化、一向に上向かない景気。どう考えても今後、会社との交渉は修羅場になる。八方美人の矢島では難局を乗り切るどころか、逆に労使間の混乱を招くのは火を見るより明らかだった。

「原田さん、お話があります」

 数日後、大川は総務の役員室に原田を訪ねた。原田は組合創立にかかわり、15年以上も委員長を続け、さらに取締役になるまで労連の会長を務めた。組合創立メンバーで現在も会社に在籍している唯一の人間だった。朱雀屋の委員長時代には、朱雀を不当労働行為で地労委に提訴したこともある。大川にとっても先輩というより雲の上の人に近い。

「単刀直入に申し上げます」

 意を決したように大川はいきなり本題に入った。

「そろそろ組合を私たちにお任せいただきたいのですが」
「任せる?どういう意味だい」

 紺のスーツに身を包んだ原田が、巨体をソファーから軽く起こすようにして、腫れぼったい目を大川に向けた。

 原田は当初のもくろみ通り、総務担当取締役になっても朱雀屋労組に対する影響力を維持、行使していた。連合会傘下の各組合の団体交渉の過程に口を出し、自分たちの利害を計算して矢島や大川たち現役幹部のコントロールを目論んでいた。各単組から地方議会に送り込む人選も大方、原田が握っている。

「いただきたいのは今後の組合運営のすべて。推薦議員の決定も含めてすべてです。平たくいえば今後のご助言は一切不要ということです」

 低い声だったが大川は強い意志を込めた目で原田に迫った。

「大川君、何を言い出すのだ、急に」

 原田は上目づかいに大川を見て細い目を丸くした。そんな原田の質問には応えず、大川は硬い口調で言った。

「会館の建設に関して、旧執行部の不正疑惑らしいものを会社がつかみました。キーマンとして、中津さんの名前が出ています。流れはすべてご存じではないのですか? 今の執行部はまったく関係ありません。しかし、会社や社員から見れば、組合は組合です。あなたたちがけじめをつけない以上、現執行部は会社と対等の立場に立てません」

 挑むように大川は原田の目を見た。

「何の話かさっぱりわからんが・・」

 困惑したように首を振る原田を無視して、大川は言葉を続けた。

「確かに組織である以上、組合といっても多少のダーティーな部分は仕方ないかもしれません。矛盾を引きずることもあります。会社との妥協もそうでしょう。しかし、超えてはならない一線はあります」

 誰もが知るように企業には2つの具体的権力が存在する。会社と労組それぞれのトップである。労使は階級であり、その争いは階級闘争であるという流れはすでにない。今や労組は経営に協力し、自分たちが所属する会社というコミュニティを支える役目も担っている。そうなると組合はある意味で経営よりコンサバティブの色が強くなる。朱雀屋労組も例外ではなかった。先輩後輩の関係にしても体育会的なかたちが色濃くなっている。

 原田と大川の関係もそんなかたちのなかにあった。しかし、そこには限界がある。組合員が拠出した金の一部を幹部が懐に入れたかもしれないという疑惑はこの限界を超えていた。

「この件を取締役がご存じかどうかはどうでもいいことです。過ぎたことをとやかく言っても始まりません。しかし、一度表に出たスキャンダルはそれが事実かどうかにかかわらず、簡単には収まりません」

 大川は契約書にあった幹部の名前を挙げて挑むように原田を見た。

「しかしなあ、いきなりそう言われてもなあ・・」

 いかにも不快そうに口をゆがめた原田の目に動揺の色が浮かぶのを大川は見逃さなかった。

 その後原田は大川に、つくり笑顔で気を落ち着けるようにといった。しかし、大川の腹は決まっていた。もはや大川には先輩への遠慮や配慮のかけらも残っていなかった。話し終わると、挨拶もなしに大川は原田の部屋を出た。

(つづく)

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