経済小説『落日』(69)モンスター
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谺 丈二 著
雛壇の役員たちが一様に下を向き、押し黙って会場の怒号を聞くなか、1人太田英輔だけが顔色を変えることなく、平然と会場を見下ろしていた。
これから自分が主役の舞台が始まる。太田の頭のなかにはすでに次のシナリオが出来上がりつつあった。
財務環境を熟知する太田は、当然のことながら、以前から遠からず朱雀屋が立ちいかなくなることが十分すぎるほどわかっていた。いまや朱雀屋の店舗のほとんどは老朽化と立地、売場の陳腐化による赤字店だった。
それは業界誌によって半ば公にされている。店舗を始めとする手持ちの不動産にも、銀行の担保が重ねて設定してある。当然、同業他社が現状のままM&Aに名乗りを上げる可能性は極めて低い。しかし、太田にとって、その障害は逆にチャンスでもあった。
銀行と公認会計士の入れ知恵、さらに自分で学んださまざまな財務手法や裏技で厳しい決算を何度も乗り切ってきた太田は、すでに財務決算が生んだモンスターといっていいほど冷徹、狡猾、貪欲な人間に変貌していた。
そんな太田が考えたのは、民事再生法とその後の対策だった。民事再生法を申請後、間髪を入れず不動産管理店舗賃貸会社をつくる。そのうえで不動産の転貸による利益を債権者に配当する、という大義名分で再生法をうまく転がせば、管理会社にはそれなりの実入りが見込める。
もちろん、一般債権者を納得させる手立ては弁護士と詰めなければならない。しかし、再生法は債務者にとって錦の御旗だ。1円でも多く債権を回収するためには、大抵の債権者は申請会社の言いなりになるしかないという錯覚とあきらめに縛られる。
一方、金融機関が押さえている数百億円の担保不動産は、バブル崩壊後、その価格が低迷を極めている。彼らは抵当物件を差し押さえて転売する時間的リスクや手間に煩わされるより、たとえ回収が融資の100分の1でもゼロよりはましと考えるはずだ。
同じように地主、家主からの店舗の賃借料も大幅に減額できる。それだけではない。店舗を出すとき、土地はあるが店舗の建設資金がない地主に店舗の建設資金を出す建設協力金方式という資金貸し付けをしている事例も少なくない。そのケースでの貸し付けも100億を超えている。本来は賃料から返済分を差し引いて家主に支払っているが、再生法適用なら、その一括返済を彼らに要求できる。たとえそれを10分の1に減額しても、手に入る金は10億を下らない。
それに加えて、ただ同然で手に入れた担保不動産と賃料減額後の店舗をうまく転貸すれば、メリットは大きい。腐っても鯛。小売業にとって業界知識のある人材と賃料の安い店舗は立派な経営資源である。
事実上の倒産で全社員解雇。加えて、再生のための資産保全が裁判所に認められた時点で、コスト面でも人材確保の面でも事後を引き受ける企業のリスクは極めて小さくなる。店舗の老朽陳腐化はともかく、小売としてみる立地は悪くない物件は多い。
そう考えると再生サポートには間違いなくリオンが名乗りを上げるという確信が太田にはあった。
リオンが手を挙げればその時点で複数の既存大型店舗の賃貸契約もスムーズに結べるはずだ。子会社の何社かも本体と切り離して営業すれば、十分採算が見込める。それは再生法を主導して、新たな実りを手にしようというしたたかで冷静な筋書きだった。
銀行を巻き込みながら、この切り盛りができるのは自分だけだという自負が太田にはあった。もし、銀行がいささかの異議を唱えても、それを押さえつける手だてはいくらでもある。政府系銀行から西総銀までその融資と返済には公にできない部分が山ほどある。そのすべてに直接かかわってきた太田だった。いざという時、銀行を黙らせるのは簡単なことだ。
大荒れの株主総会だが、株主総会が荒れたからといって明日にでも会社が潰れるというわけではない。事後計画の時間は十分にある。とりあえず早急にその計画、立案を始めなければならない。太田は騒然となった会場と、もはやすべてを失った井坂の陰鬱な顔を見ながら、1人頭のなかで冷たい笑みを浮かべた。
(つづく)
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