2024年12月23日( 月 )

経済小説『落日』(71)船のカニ2

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谺 丈二 著

「おや?」

 組合からのメールを苦い笑いのなかで見ていた石井は最初から数えて8通目のメールを見てわが目を疑った。

非常事態宣言№8

指名団体交渉
  河田取締役専務 太田取締役常務
  犬飼取締役常務

 今回の交渉において初めて交渉は真摯、かつ建設的に進められた。労働組合は経営構造改革の提言書を提出。

1 基本コンセプト 責任ある経営
2 労働組合の経営参画
3 商品部の分社化
4 その他システムの再構築

 三常務には労働組合の提言に理解と共感をいただきました。つきましては一定期間を経たのち、責任をもって見解を示すことをお約束いただきました。

「ほう、自らボードコントロールか。組合を巻き込んだ役員間の権力闘争だな。スケープゴートは生え抜きの専務2人か。さて、井坂さんがどんな顔をすることやら」

 2人の専務を更迭し、会社としての経営責任を組合に示す。専務2人の首なら賞与減額の人身御供として組合のメンツも立つ。あとは銀行から新たなトップを招き、井坂が引責というかたちで会長になれば万事好都合ということかもしれなかった。石井はこれを見た井坂がどんな顔をするか想像した。井坂はその性格から見てどんなバッシングに会おうと、権力維持と経済的執念にいささかの揺るぎもないはずだ。

「まったく」

 石井がパソコンの画面に苦い笑いを向けたとき、デスクの電話が鳴った。

「武藤です。ご無沙汰しています」

 懐かしい声だった。

「ほんと、久しぶりだね。変わりないかい?」
「おかげさまで元気でやっています。実は昨日N新聞の記者が訪ねてきましてね」
「新聞記者が?」
「そうです。大学の運動部の後輩なんですが、こいつが大変なものをもってきたんですよ」
「どういうこと?」
「粉飾とその方法を店舗に指示した文書です。マル秘の印鑑が押してあります。ある店長から手に入れたというのです。見せてもらいましたが逃げようのない中身です」
「そりゃ厳しいな」
「ほかにも結構いろいろな資料をもっていました。朱雀屋にしてみればまずい内容のものばかりです」
「内部告発?」
「そういうことでしょうね」

「同じものが各紙に回っているのかな?」
「それはないようです」
「事実確認で君を訪ねたってことか」
「そうです。取引先にもいろいろ聞いているみたいでした」
「裏が取れたら書くということ?」
「ええ、記事にするつもりだと。それと、はっきりとは言わなかったのですが、他にもう1社、地元紙が嗅ぎまわっているみたいです」
「そう、でも2紙が動いているとなるとテレビも含めて各社が気付くのは時間の問題だね。万事休すか」

 しばらくのやり取りの後、石井は電話を切った。そして次の展開を考えた。

 半年前、西総銀の専務から直接懇願されて、10億の借り入れを返済した石井だった。だが、案の定2%の株譲渡の約束は反故にされた。西総銀からすれば朱雀屋がもつEスーパーの51%の株式の2%を石井に譲渡するより、51%全部をリオンに売り渡したほうが債権回収のメリットははるかに大きい。残りの49%は金融機関以外の一般株主の手にある。それをどうするかはリオンが考えることであって、自分たちにはまったく関係ない。リオンとしては朱雀屋に民事再生を申請させ、子会社にも個別に同じ申請をさせて最低コストで市場を手にしようとするはずだ。

 石井はEスーパーの今後を考えた。もし、リオンが引き受けに名乗りを上げれば、それはM&Aのかたちで子会社のEスーパーにもおよぶことは明らかだった。

 親会社である朱雀屋が再生法を申請するわけだからリオンは当然、Eスーパーにも同様の条件を申し入れてくる。そうなると社員は解雇、取引先への支払いも停止ということになる。そうならないためにはリオンのM&A担当役員と交渉して、再生法抜きのM&Aのかたちにしなければならない。

 幸い、Eスーパーは債務超過でもなく、ある程度の運転資金の手持ちもあった。取引先を説得し、タフなネゴをもってリオンの窓口と交渉すれば再生法抜きのM&Aが十分可能なはずだ。

 トップには万難を排して社員の行く末を考える義務がある。石井一博は複数の交渉対策を考えることにした。

(つづく)

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