2024年12月21日( 土 )

福岡城天守の復元的整備を考える第3回会合 論点整理と他城の事例(前)

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 11日、福岡商工会議所が事務局を務める「福岡城天守の復元的整備を考える懇談会」(山中伸一座長)の第3回会合が開催された。

左から谷川浩道顧問、山中伸一座長、川原正孝座長代理
左から谷川浩道顧問、山中伸一座長、川原正孝座長代理

復元的整備にあたっての論点整理

 本会合では、まず今までの議論を振り返っての論点整理が行われた。

論点1、福岡城天守は実在したか

 丸山雍成氏(九州大学名誉教授)が城郭史研究34号(2015年)に掲載した論文『黒田孝高(如水)の戦略と築城』において論証した福岡城の天守実在説に対して、反証する論文は今のところなく、よって日本城郭史学会においては、福岡城に天守が存在したことが通説となっている。

論点2、復元するとすれば、福岡城天守はどのような姿になるのか。

 佐藤正彦氏(九州産業大学名誉教授)の検討によると、福岡城天守の姿は5重6階地下1階、高さは87尺(26.3m)と考えられる。

 上記2つの論点については、過去記事「福岡城天守は『実在した』 懇談会で示された根拠と復元イメージ」をご参照ください。

論点3、福岡城天守の資料・史料が少ないのはなぜか。

 (1)福岡城は、天守が存在していた期間が約17年間と短かった。

 (2)城の指図書(設計図)は軍事機密であることから表に出ることがない。全国でも指図書が残っている例はごくわずかである。

 (3)福岡藩の正史『黒田家譜』に福岡城天守についての記載がない。これについて研究者の間では、編纂を命じた第3代藩主・黒田光之が幕閣との関係を顧慮して築城関係、とくに天守についての記事の削除・隠ぺいを図ったことが疑われている。現に黒田家譜は、藩祖・黒田如水の臨終の地を京都・伏見から福岡に改ざんしていることにもその一端がうかがわれる。(金子堅太郎『黒田如水伝』より)

 (4)黒田藩は2代黒田忠之の時代に起きた黒田騒動によって、お家断絶の瀬戸際に立たされたこともあり、極端な秘密主義を取った。たとえば、本丸の奥に建てられた切腹櫓を守る鉄御門について、その噂をするだけでも極刑(斬首)に処される定めとなっていた。(石瀧豊美『福岡城のなぞ―天守閣はあったのか?』より)

他城郭の復元の動き

 また、会合では、城郭を有するほかの地域における天守等の復元活動についての調査結果が報告された。これは、福岡商工会議所が全国の商工会議所のネットワークを通して調査を実施したもので、国指定史跡の城郭を地域内に持つ商工会議所から回答が寄せられた。

 それによると、貴重な天守の指図書や写真といった、復元に際して重要な根拠となる史料が残されている城郭がある一方で、図面や設計図などの史料が存在していないため、復元に向けた動きが困難に直面している城郭が複数あることが明らかにされた。

 復元活動が困難に直面している城郭例:仙台城(宮城県仙台市)、山形城(山形県山形市)、村上城(新潟県村上市)、上田城(長野県上田市)、和歌山城(和歌山県和歌山市)、高松城(香川県高松市)、丸亀城(香川県丸亀市)、徳島城(徳島県徳島市)、岡城(大分県竹田市)

今後について

 非公開の意見交換会では、今後実施が検討される市民アンケートの内容やシンポジウム等の開催、福岡市への要望の骨子案について意見が交換されたと思われる。

 意見交換の内容は、次回の会合にて公表される見込みだ。

(つづく)

【寺村朋輝】

(後)

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