2024年12月21日( 土 )

星野富弘と天才F(前)

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大さんのシニアリポート第135回

 大学時代の友人Fは、在学中から群を抜いて頭が良く、統率力に長けていた。結核を患って3年ほど休学したという話だが、大学闘争時も執行部の中枢(武闘派ではない)として各派をまとめ、同学年の間ではFの右に出る者は皆無だった。卒業後、関西に本社のある地図の会社S社に入社。組合をつくり目障りな課長を降格に追い込み、自らが課長の椅子へ。その直後、組合を潰した。Fの辣腕ぶりに会社首脳部の評判はうなぎ登り。数々の商品を世に送り、業績は急上昇。またたく間にナンバー3にまで上り詰めた。これがFの悲劇の始まりだった。

故郷の自然を口で描く画家・星野富弘

    そのFからあるとき、「手伝ってほしい」と連絡を受けた。地図をメインにした県別情報版の売れ行きが今一つ伸びない。「新企画を出してほしい」という。地域別(県別)の観光を目的とした情報誌のハシリだった。地図にはめっぽう強く、観光案内的な内容も過不足なく網羅されているのだが、目玉がない。私は、「読み物の掲載」を提案した。古今東西、地域には必ずその土地に影響を与えた名士がいる。その人物をノンフィクション風にピックアップして再評価する。提案が編集部で採用され、社内の了解の元スタートした。私も数人の作家の1人として加わった。その群馬県版に、「富弘美術館探訪記」を書くことになった。

 群馬県勢多郡東村(現・みどり市)に富弘美術館がオープンしたのは、1991年5月。クラブ活動の指導中に大怪我(頚髄損傷)を負い、首から下が麻痺した星野富弘さんが、口で絵筆をくわえて描いた詩画集を一堂に集めた美術館である。私が勤めていた学習研究社の子会社・立風書房から出版されていた彼の処女作『愛、深き淵より』を、事前に読んでいたことが取材のきっかけとなった。彼の描く絵もすばらしいが、添えられた詩も読む人に感動を与えた。代表作の1つ、カトレアを描いた絵に添えられた詩が感動的だ。

「お母さん と呼べない まして おふくろ なんて呼べば 紙袋みたいに しわだらけになって 飛んでいって しまいそう かあちゃん かあちゃんと呼ぶたびに 母は ますます かあちゃんになっていく かあちゃん これからも何度呼ぶことでしょう」

 星野さんの詩は、彼の母をうたった作品が多い。9年間の入院期間中、身体のまったく動かない彼の手足となって働いた母に対する愛情と感謝の気持ちと同時に、自分自身へのもどかしさも詩のなかに強く感じさせる。

イメージ    富弘美術館を取材したのは1996年夏。桐生駅からわたらせ渓谷鉄道に乗り、神戸(ごうど)駅で下車。村営(当時)バスで約10分。草木ダム湖の碧い湖面をバックに映える美術館の入り口を入ると、少し薄暗い展示室に掲げられた星野さんの詩画が、ピンスポットの灯りに見事に浮かび上がっている。詩画を見つめる100人ほどの目が普通の展示会と違って感じられるのは、絵に添えられた詩を追っているからだろう。真剣な眼差しというより、どこか詩画に取り憑かれ、魂を抜かれてしまった彷徨えるミンストレル(吟遊詩人)のように私には見えた。

(つづく)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。

(第134回・4)
(第135回・後)

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