2024年07月16日( 火 )

経済小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(10)青い目の高校生

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 アメリカに住もうと、ホームステイをしようと、やはり英語をネイティブとする女性と結婚するか彼女にするのが、英会話をマスターする一番の近道だと思う。考えてみれば、アメリカ人女性と住むことも良いが、実はそれよりアメリカ人の会社で仕事をする方が、学生を続けるより絶対に英語の上達は早い。

 英語を勉強したい人は、日本の大学を出て、基本的な英会話能力さえあれば外国に行き、外国人と一緒に仕事をすることが一番だと思う。

 以下は、話が題名から飛ぶ。これは後日知ったことだが、日本人男性が白人女性と結婚することには多くの困難があり、金髪で青い目の奥さんと幸福になった人は少ない。千昌夫も水谷豊も離婚に終わっている。

 では逆に、大和なでしこが外国人と結婚するとどうなるか?一見、バラ色のイメージがある。が、実はこれも、やはり問題は多いらしい。以前、会社にマヤさん(仮名)という素敵な日本人女性が働いていた。彼女は英国人男性との間に子どもを産んだばかりであった。ときどき彼女とランチをした。

「ジョージ君、私、小説を書きたいの」
「それはいいね?もうタイトルは決まっているの?」
「そんなの、とっくに決まっているわよ」
「なにさ?」
「タイトルはね、『外国人妻の憂ウツ』よ」
「新婚早々じゃないか。彼はあんなに素敵で日本語もペラペラ、背が高く、ハンサムで優しい。何の不満があるの?」
「ジョージ君はいいね~。外国人妻の辛さは、やってみないとわからないわよ。今からでも日本の男性に乗り換えたいところよ。ジョージ君、私と一緒に逃げない?」

 そういえば、このストックトンでも、アメリカ人男性と結婚した日本人女性が日本人留学生の男性と、年の差を越えて恋に陥るという話がたびたび話題を呼んだ。

 今ほど電話も発達していないし、インターネットもない。何十年も日本を離れ、長い間、日本人男性と会話をしたことのない日本人妻が多かった。彼女たちが日本人男性と日本語で話し始めると、もう止まらなかった。延々と大学のカフェテリアでしゃべり続けた。日本語の会話に飢えている日本人妻が多かった。
さて話をもとに戻す。

 ジョージ君は無事、ホームステイができた。まがりなりにもアダルトスクールに行き、午後はストックトンのサンオーキン・デルタ大学のラボで聴講生として勉強していた。それでも英会話は上達しなかった。

 創価学会(SGI)のミーティングに行こうと、SGIの世話役の学生、上田君がさそってくれた。創価学会のミーティングは全部英語だった。

「ヒアリングの勉強のためにミーティングに行こう」

 教室での勉強は嫌いだったが、現場で英語に挑戦するのは、特別嫌いではなかった。もちろん、創価学会には興味はなかった。

 ジョージ君は英語を話す機会があれば、どこへでも出かけた。上田君とジョージ君がミーティング会場に入った。割れんばかりの声と拍手と口笛が鳴っていた。最初は何が起こっているか、わからなかったが、それは彼らを歓迎する声だった。

「ウェルカム、MR.UEDA! ウェルカム、MR.GEORGE! ウエルカム、We all love you!」
拍手は鳴りやまなかった。本当に心から迎えてくれている、そんな気がした。

    渡米以来、寂しかったジョージ君の目に、涙が少し出てきた。喜びと、満足で満たされた。ジョージ君を待っていてくれる人が、こんなところにたくさんいたのだ。彼らの瞳、態度には一点の曇りもなく、ジョージ君たちを歓迎してくれていると信じることができた。それはジョージ君の第六感だった。

 思い起こせば、大学に入学して間もないころ、創価学会や民青(民主青年同盟・共産党系の若者の政治団体)などが、地方出身の新入生たちを勧誘していた。とくにクラブ活動をするわけでも、彼女や友人がいるわけでもない、都会に出てきて寂しい地方出身の若者は学会や民青に入っていった。なるほど、宗教の魅力は、哲学や理論から入るより仲間意識から勧誘する方が成功するのだと感心をした。

 これは勉強になった。これ以後、ジョージ君は道場荒らしのように、いろいろな教会に行き、英語を聞いた。カトリック、プロテスタント、モルモン、浄土宗、ヒンズー、イスラム、生長の家、さまざまであった。

 この“歓迎”を体験したからこそ、後になって、流通関係の仕事で「客は店に入った瞬間に本能的に歓迎されているか、察知する能力をもつ。お辞儀の仕方や角度ではない。相手の瞳を見て挨拶をする。それがカスタマーサービスの基本だ」というようになった。

「ジョージ君、英語で自己紹介をしてください」

 また、万雷の拍手と口笛が鳴った。ジョージ君は立ちあがった。
恥ずかしくはなかった。“俺は好かれている。俺を友達として受け入れてくれているから大丈夫だ”

 英語でスピーチをした。何を話したか、あまり記憶はない。ジョージ君の若い情熱とやる気が、創価学会のアメリカ人メンバーの胸を打ったようだった。その証拠に、拍手はしばらく鳴りやまなかった。そこにいた1人の高校生が、ジョージ君を熱い眼差しで見つめていることは、まだ知らなかった。

 東京の満員電車や会社生活の頸木から解放され、アメリカにきたジョージ君からは、若さとやる気のオーラが間違いなく出ていた。“ああ、この外国からきた青年を助けてあげよう。何か、彼のためにやってあげたい”多くの人がそう思ってくれたように感じた。それはたしかに線香花火のような、短い情熱かもしれない。でも、その気持ちは本物だった。

 帰り際、キミさんという女性が、背が高く可愛いい、金髪でブルーアイの高校生の女の子を連れてきた。顔は幼いが、体はもう立派な大人だった。

「ジョージ君、君のスピーチを聞いて、シドニー(仮名)があなたのことを好きになったみたい。この子を紹介するからデートしてあげて」

 彼女は終始、恥ずかしそうに、ただニコニコ微笑んでいるだけだった。何でも可笑しい、花の17歳だった。奇跡が目の前で起こっている。アメリカ人の女の子にデートを申し込まれた!しかも金髪でエンジェルのようなほほえみ。住所と電話番号が書いてあるメモを渡された。ジョージ君は思わず、「ブラボー!」と叫んだ。

(つづく)

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