2024年11月21日( 木 )

石丸候補の参謀、選挙の神様が「維新は後悔」と激白

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石丸伸二氏    小池百合子都知事が3選をはたした「東京都知事選挙(7月7日投開票)」が終わった途端、予想外の2位となった前・安芸高田市長・石丸伸二氏に維新がすり寄り始めた。

 投開票前は、石丸氏に推薦を断られ「支援しない」との立場を表明、個人的支援禁止も通達したことから「自由な支援を認めて欲しい」と訴えた稗島進世田谷区議が離党する事態を招いてもいた。

 しかし、投開票2日後の7月9日の会見で藤田文武幹事長は、手のひらを返すように「石丸氏が小池氏と蓮舫氏の間に割って入り、都民の心をつかむ活動をしたのは素晴らしかった」と高く評価。告示前に著名人の紹介を受けて石丸氏側からの求めで馬場伸幸代表ら維新幹部と面会したことも明らかにした。

 この場で石丸氏から「維新に何らかのかたちで応援してもらうことは可能か」と水面下での支援をもちかけられたが、藤田氏は「推薦して全力でやるか、やらないかの二択で、ステルス(での支援)は難しい」と返答、維新支援がとん挫した経過についても述べていったのだ。

 しかし、この説明は石丸候補の選挙参謀を務めた藤川晋之助氏の選挙中の発言と大きく食い違う。「選挙の神様」とも呼ばれる藤川氏はラストサンデーの6月30日、石丸氏の銀座街宣後の囲み取材で、「(馬場代表らとの面談は)維新側からの要請だった」と説明していた。藤川氏は維新との面談をこう振り返った。

「もともと東京の維新の方から『推薦を出したいけれどもどうか』ということを言いたかったみたいです。だけども、(石丸候補が維新幹部と)会った途端、『推薦いらない』と言ったので、(維新が)頭にきてしまった。面子を潰された。だから『もう絶対に応援しない』『石丸のところだけは行くな』と言ってしまっているのです」

 ここで藤川氏は「維新側からのアプローチだったのか」という確認の質問に対して、こう明言した。

藤川氏(中央)
藤川氏(中央)

「だって、維新側のアプローチでなかったら、(石丸氏が)座った瞬間に『維新の推薦はいりません』と断らないですよね。(石丸氏側からの)アプローチをしていたら、もう少し丁重に出る。まあ(維新の推薦を断ったのは)いい選択だと思います」

 と同時に藤川氏は「『(維新の)推薦を受けておいたら』とは言わなかった」とも明言、こう続けた。

「(推薦を)受けたら、かえって維新色が出てしまうので、そうしたらボランティアの人が引いてしまう。維新は自分たちのやり方で選挙をやろうとする。維新は選挙下手ですからね。(維新の選挙参謀を)私がやっていて、一番わかっています」

 ここで私が「自民党は推薦をしなくても小池さんを応援しているが、維新もそういうやり方を取ればよかったのではないか」と聞くと、藤川氏は「そうなのです」と即答した。

 「それ(ステルス支援)を求めたのです。でも、面子を汚されて、(ステルス支援を)しなかった。それは、(推薦を断られて)怒るでしょうね。でも、そこは政治だからぐっと我慢をしていれば、よかった」。

 推薦なしでも自主的ステルス支援をした自民党と、推薦を断られてステルス支援を拒否して“禁止令”で縛りまでかけた維新という対照的な対応となったというのだ。

 ただし藤川氏が維新との面談内容について語ったのは、投開票1週間前の6月30日。この時点で石丸氏が2位をうかがうほどの勢いがあったことは告示後の世論調査で明らかになっていた。そこで、私は「最近の(世論調査の)数字を見て、維新が考えを変える可能性はないのか」と再質問をすると、藤川氏からはこんな答えが返ってきた。

 「会合で(維新幹部が)『これは最終決定ではない』『ある時期を見て変わるかもしれない。石丸という男は優秀だ』ということは、維新のメンバーには言っていたらしい。だから、こっちがうまくいえば、(自主支援禁止の維新の方針が)変わる可能性がある。うちの方としてはそこまでヤル気はない。だから(維新は)後悔するのではないかと思う」

 しかし投開票日まで1週間の時間的余裕があったのに、最後まで維新の方針は変わることなかった。「自主投票」に軌道修正することも、「維新議員が石丸氏を支援することは問題なし」と宣言することもしなかったのだ。

 石丸氏が2位になって馬場代表や藤田幹事長は後悔しているに違いない。藤川氏の助言に従って自民党のような大人の対応をしていれば、維新の評価向上につながったのは確実であるからだ。

 後悔の念から藤田幹事長は投開票後に石丸氏への評価を一変させたのかもしれないが、一連の経過を振り返ると、維新の先見性のなさが浮き彫りになるようだ。今回の都知事選は、維新の退潮ぶりを可視化する働きもしていたといえるのだ。

【ジャーナリスト/横田一】

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