認知症行方不明者1.9万人と認知症当事者(前)
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昨年1年間、警察に届け出があった認知症の行方不明者は前年比330人増の1万9,039人。統計を取り始めた2012年以降最多である。このうち遺体で発見されたのが502人で、これも最多となった。行方不明者の95%が無事発見されているが、250人は未発見のままだ。年齢別では、80代以上が全体の6割を占めている。70代が3割超。60代826人。50代140人。40代9人。30代2人。65歳未満の若年性認知症も多く、警察に届けていない事例もあるので、行方不明者の実数はさらに多いと推測される。
「徘徊」には目的がある
認知症当事者の単独歩行を「徘徊」といっているが正解ではない。徘徊は「目的もなくうろうろと歩くこと」(スーパー大辞林)を指す。「夜の巷を(目的もなく)徘徊する」という具合だ。近所に市内で唯一、住民の大半が65歳以上の「限界団地」と呼ばれる地域がある。当然のように老々介護の世帯が多く、坂下にあるスーパーで買い物をした高齢者が帰途、坂道を登り切れずに顔見知りの住民に買い物カートごと押してもらい、ようやく登り切れるという状態が日常茶飯事。その尻を押す住民も高齢者という具合。
ある日、80代の認知症の女性が行方不明になった。立ち寄りそうな場所を探したが見つからない。警察に連絡し、有線放送で呼び掛けてみたものの、手がかりすらない。翌日、山梨県警から富士五湖の1つ河口湖の湖畔で発見されたと連絡があり、無事に再会できたという事件があった。河口湖にきた理由をただすと、「お父さんに逢いたいから」という答え。新婚旅行が河口湖だった。ここに来れば夫に逢えると考えたのだろう。ご主人は10年ほど前に亡くなられている。住んでいる場所から河口湖まで直線で100㎞はあるだろう。複数の交通機関を利用しなければならないし、それなりの交通費もかかる。金銭感覚も怪しいので普段から現金を手渡していない。なぜ河口湖まで来ることができたのか、現在も謎のままである。
私が故郷山形に帰郷し、母の介護をしていた40年ほど前のことである。母が入院していた病院の老人病棟から1人の高齢な入院患者(女性)が失踪した。女性は痴呆(認知症という呼び方が通例になったのは、04年12月から)が進んでいて、夜間、病院中を歩き回ることが多かったという。翌日、解決したのだが、見つかった場所が病院近くの民間アパート。住人が夜間の仕事を終えて早朝帰宅すると、失踪者が自分の布団で寝ていたという。主治医が問いただすと、「生まれ故郷に帰りたい」と返答した。認知症当事者の徘徊にはそれなりの理由があるのだ。失踪者のなかには自宅玄関周りの植え込みで、白骨化した状態で発見されたという痛ましい事例も報告されている。
昨年6月、「認知症基本法」(本年1月施行)が成立した。要旨は「認知症の人を含めた国民各自が個性と能力を発揮して、互いに尊重し合い支え合いながら生きていける活力ある社会をつくること。認知症になっても希望をもって暮らせる社会」とある。ならば、「徘徊」という言葉も別の的確な言葉に差し替えるべきだと思う。
(つづく)
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。関連記事
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