奥田修史校長を号泣させた「甲子園・8月9日の奇跡」~創成館高校
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(一社)倫理研究所 長崎北倫理法人会が主催する「第1回活力朝礼セミナー」で地元企業関係者を前に、教職員が朝礼を実演した創成館高等学校。職場の雰囲気づくりで模範となっていると言える同校だが、今年の夏は、教え子たちが、長崎の人々にとって記憶に残る『奇跡』を起こした。
記憶に残った創成館ナイン
奇跡は、第97回全国高等学校野球選手権大会で起きた。県大会を勝ち抜き、長崎県代表に選ばれた創成館高校の野球部。夏の甲子園は今回が初出場である。その創成館ナインが、春夏通算で出場50回、優勝3回の奈良県代表・天理高校に9回サヨナラ勝ちで初勝利をあげた。そして試合当日は、長崎の人々にとって決して忘れられない「8月9日」、原爆投下日。試合当日、生徒およびその保護者、学校関係者らとともに、スタンドで声援を送った同校・奥田修史校長は、「あの日の試合は、奇跡が立て続けに起きた」と回顧する。
8月9日の第2試合。原爆投下時刻の午前11時2分、創成館ナインが試合開始直前に三塁ベンチ前で輪を作り、黙祷を捧げた。合わせて同校応援団約1,400人も長崎の爆心地のほうを向いて黙祷し、対戦相手の天理高校の応援団も鳴り物の演奏をひかえるといった配慮を見せた。今年は原爆投下70周年という大きな節目の年。ニュースでもこの時の姿が報じられ、印象に残っている人も多いだろう。
奥田校長の言う奇跡とは、この黙祷ができたタイミングにある。例年、夏の甲子園では、終戦記念日である8月15日正午に大会行事として黙祷を行っているものの、8月9日および広島に原爆が投下された8月6日については黙祷を行っていない。実は、第1試合の時間が伸びたことで、創成館対天理の第2試合の開始時刻が遅れ、結果、試合開始前というタイミングで午前11時2分を迎えることができたのである。
第2の奇跡とは、やはり強豪・天理を相手にサヨナラ勝ちを収めたことである。「春の選抜にも2回出場していますが、どちらも甲子園ではおなじみの強豪校で1回戦負けでした。今回も強豪の天理高校ということで、正直、ああ、またかと思っていたのです」(奥田理事長)。ところが、その強豪相手に好試合を演じ、見事勝利した。
警察署との往復だった低迷期
勝利の歓喜に包まれたスタンドで、奥田校長は、就任からこれまでの思い出が走馬灯のように蘇り、人目をはばからず号泣したという。「校長に就任した頃は、学校と諫早署の往復でした」(奥田校長)という頃から、今では甲子園に出場した野球部をはじめ、県高総体で男子団体10連覇の体操部、16連続で県大会金賞受賞の吹奏楽部など部活で活躍。“かつてのイメージ”は払拭された。「中学校を回っても相手にされなかった高校が、今や競争率4.7倍です」と、奥田校長は、これまで続けてきた改革の手応えを語る。
奥田校長の話にもある通り、十数年前の同校は、良い意味での有名校ではなかった。若干32歳の若さで学校法人の理事長に就任した奥田校長は、課題山積の学校運営で、表情が暗くなり、沈んでいった。ついに教員から「そんな暗い顔で来ないでください」と言われ、気づいたという。「人は楽しいところに集まる。学校を楽しいところに変えるのは生徒たちではなく、教職員たちの責任だ」(奥田校長)と。
その後、奥田校長は、「子どもたちに夢を語り、夢を持たせることが生きがい」「常に情熱を持ち、今日も熱く、熱く、熱く生きる」といった『創成館 教員心得十ヶ条』を策定。毎朝朝礼で唱和をすることを始めた。「(不良生徒は)時間とエネルギーをもてあましているだけ」と、自ら教育者として1人1人と向き合ってきた。時には、進路だけでなく、恋愛の相談にも応じることもあるという。校長が教職員の先頭に立ち、一丸となって学校の雰囲気を一新した創成館。「8月9日の奇跡」は、日々の積み重ねの延長線上にあった。
【山下 康太】
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