2024年12月22日( 日 )

『脊振の自然に魅せられて』「10年ぶりの洗谷」(後)

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 最初に渡ろうとした自然木の橋は、腐食し、苔むしていた。そこで幅5mほどの谷の上部へ回り込んで、岩場から登山道に入ることにした。この時点で、筆者はリーダーとしてメンバーの技量や体力を判断した。いつもメンバーたちと歩いているので技量はわかっていたが、今回は普段の山歩きとはわけが違う。

 メンバーは、北アルプスを何度も歩いた女性H、福岡近郊の山だけを歩いている女性S、10年前に北アルプスの表銀座縦走路から槍ヶ岳―穂高連峰を共に歩いたワンゲルの1年後輩のO。それぞれのメンバーに、ときおり目配りをした。

 渓谷の奥へ入り、本格的な渓谷歩きとなる前に全員にヘルメットの装着を指示した。危険な渓谷を歩くわけではないが、万が一に備えてである。時には倒木で頭を打つこともあるので、ヘルメットをかぶると安心感もある。

 1時間歩くと、渓谷の中間部にある五段の滝に着いた。ここを訪れていたときは滝の側にヤマアジサイが咲いており、滝をバックに何度も撮影した。

 周辺に多少の変化はあるものの、滝そのものは変わっていなかった。ここで、小休止をとった。久しぶりの渓谷歩きでもあるし、暑いため、休憩を多くとることにした。

 ここから30mの崖登りが始まる。2本のロープが張ってあるが、あくまでも補助的につかう必要がある。全体重をロープにかけると、ロープが切れて滑落の危険があるからだ。

 筆者が先頭で登り、登り終えると後続にOKのサインを出した。ここから10分、上部の5mの滝の横を登ると(池田ルート)、『のぼろ』編集長の死亡事故現場に着いた。地図と手書きの概念図で確認していたので、この場所だと分かった。浅い水たまりこそあったが、それほど危険だと思われる場所でもない。岩の上には、石が3個積まれていた。Hが自宅の庭から持参した花を添え、手を合わせた。

 なぜ事故は起こってしまったのだろうか。筆者は「ダブルストックの悲劇」ではないかと考える。渓谷でストックを使うと危険である。岩でストックが滑るし、初心者は全体重をストックに掛けてしまうことが多い。ストックを滑らせて頭を打ち、うつぶせに倒れ、溺れて亡くなったのではないだろうか。この日もHがストックをもってきていたので「危険だよ」と注意した。Hは「渓谷では使わない」と言ったので安心した。

 10年近く前、北アルプスの西穂高岳(2,909m)を一人で登っていたところ、岩凌地帯でストックを使っている人がいたので、「ここで使うのは危ないよ」と注意したことがある。

 洗谷は久しぶりなので、ルートを多少間違えたが、その後、修正した。この渓谷で最も美しい二段の滝にきた。滝の周辺は崖崩れで様子が幾分変わっていた。撮影できたときは、一段目のデルタ状の滝が10mの高さから柔らかな様子で流れ落ちており、清流は美しかった。

 この滝で何回も「クライムシャワー」を浴びて汗を流した。滝壺も浅く、デルタ状に広がった清流は滝浴びには最高の場所だった。

 この横の鎖場を登り、砂岩でできた源流を歩き、最後の急登ルートに着いたのだが、イラクサの藪でルートが塞がっていた。そのため、ここを避け、手前の斜面をジグザグによじ登った。スリング(リング状の紐)をカラビナでつなぎ合わせ、後続が登りやすいように頑丈な木の根に巻き、5mほど垂らした。45度の傾斜を喘ぎながら10分ほど登ると尾根に上がることができた。谷よりも尾根のほうが滑落の心配がないので安全なのである。

 尾根の樹木を避けながら進むと笹藪が出てきた。脊振では笹藪は標高700m地点から上部に生えているので、縦走路が近いことがわかる。笹藪をかき分けて歩くと足元に踏み分け道があった。旧登山道である。さらに5分進むと井原山―雷山の道標が見えてきた。渓谷歩きを征服したのである。荒れたアドベンチャールートであった。

 合流地点の縦走路の側に「入山禁止」の柵があった。行政としては、これ以上、負傷者を出したくないという思いから柵を設置したのだろう。

 後続のメンバーに「出たよー」と声をかけたところ、「やったー!」という声が聞こえてきた。汗まみれの登山ではあったが、メンバーは達成感に浸っていた。

 予定時間より1時間あまり遅れていた。ここで昼食にし、雷山―井原山縦走路を歩き、正規ルートから登山道を下った。疲れていたので休み休みであった。

 ちなみに参加者は、筆者が傘寿、後輩Oは古希、女性2人は60代。元気なシニアたちである。下山後、女性Hから「来年の春、山野草を見に行きましょう」という誘いを受けた。思わず「えー、また行くの!」と筆者。

 帰宅すると全身筋肉痛であった。翌日、行きつけの整骨院でマッサージを受けた。マッサージは保険が効くので金銭的な負担が少ない。そして別料金で、高圧酸素カプセルに1時間入り、体のメンテナンスをした。

 『のぼろ』の記者にも献花の報告をした。年齢的にも人生最後の洗谷かと思っていたが、また行きたくなった。

 筆者の写真集『脊振讃歌』(2008年)で洗谷を数ページ掲載している。同写真集は、国立国会図書館、福岡市総合図書館(教育図書認定)、佐賀市立図書館の蔵書となっている。

(了)

脊振の自然を愛する会
代表 池田友行

(前)

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