2024年12月27日( 金 )

傲慢経営者列伝(11):三菱グループを抉る(4)三菱マテリアルの不正の病巣

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 三菱の創始者・岩崎弥太郎が、海運業を営む九十九(つくも)商会を設立したのは、1870(明治3年)10月。明治新政府の御用を引き受ける政商として頭角を現し、三菱グループは日本に君臨した。だが、「失われた30年」で、スリーダイヤの栄光の日々は消え去ろうとしている。明治以来の繁栄を継続できるのか、新しい時代に飲み込まれて「明治日本の産業革命遺産」のレガシー(遺産)集団に成り下がるのか。岐路を迎えている(敬称略)。

三菱の島「軍艦島」がユネスコの世界遺産に登録

軍艦島 イメージ    「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が2015年7月、ユネスコ世界遺産に登録された。

 23の構成資産のなかで最大となる8つの構成資産を抱えているのが長崎県。長崎造船所関連のほかに、登録前から注目が集まっていたのは、「軍艦島」の愛称で知られる端島炭坑だ。1890年から本格的な採掘が始まり、海底1,000mから良質の石炭を採掘し、製鉄用原料炭として八幡製鐵所で使用され、日本の重工業分野の近代化を支えた。しかし、主要エネルギーの座が石炭から石油に移ると衰退が始まり、1974年に閉山し、無人島になった。

 三菱の祖、岩崎弥太郎は海運業で得た利益を基にさまざまな事業に進出したが、後の財閥形成で最も重要なのは、造船と炭坑であった。造船は三菱重工業、炭坑は三菱マテリアルの前身。三菱の島だった「軍艦島」は2001年に三菱マテリアルから長崎県に無償譲渡された。廃墟ブームもあり、「軍艦島」は観光スポットとなっている。

三菱マテグループの品質データ偽装問題

 非鉄金属大手、三菱マテリアル(以下、三菱マテと略)の転換点は17年に発覚したグループ5社による品質データ改ざん問題である。

 三菱マテは17年11月以降、三菱電線工業、ダイヤメット、三菱アルミニウム、三菱伸銅、立花金属工業のグループ5社のデータ改ざんを公表した。

 東京地検特捜部は18年9月、不正競争防止法違反(虚偽表示罪)で、三菱電線の村田博昭前社長と、ダイヤメットの安竹睦実前社長を在宅起訴した。また、法人としての両社と三菱アルミも起訴した。

 17年以降、神戸製鋼所など国内の製造業において相次いで発覚したデータ改ざんで、個人が起訴されるのは初めて。2人は経営トップとして、不正を認識しながら、顧客や三菱マテに報告せず放置したり、資料の隠蔽を指示したりするなど、悪質性が高いと判断された。

三菱マテの悪質さが問われた隠蔽体質

 三菱マテの悪質さが問われたのは、不正発覚から公表までの対応の遅さにある。データ改ざんが最初に発覚したのは三菱電線。17年2月に、社内検査で配管などのパッキングに使うゴム製品のデータを改ざんしていたことが発覚。3月に村田博昭社長ら経営陣に伝えられたが、顧客への通知、出荷停止などの措置はとられず、10月23日に出荷を停止するまで、問題製品の出荷が続いていた。

 親会社の三菱マテは10月に三菱電線から不正の報告を受けていたにもかかわらず、発表が1カ月遅れた。

 データ改ざんの不正は神戸製鋼所と同じだが、神戸製鋼は経営陣が把握した段階で、該当製品の出荷は停止していた。三菱電線は、経営陣が不具合を知りながら、出荷を継続した。さらに、親会社の三菱マテは、公表を先延ばしにした。

 三菱マテは、コーポレートガバナンス(企業統治)の面で、神戸製鋼より悪質だと批判が強まった。神戸製鋼のデータ改ざんが問題になったから、仕方なく発表したのだろう。神戸製鋼の件が大騒ぎにならなければ、公表するつもりはさらさらなかったと言わざるを得ない。

 不正を小出しにするのが最も印象が悪い。「もっと隠しているのではないか」と思われてしまうからだ。三菱マテに不信の目が注がれた。

前身の三菱鉱業は、戦前の三菱財閥の主力会社

 三菱マテは1990年、三菱鉱業セメントと三菱金属が合併して誕生した。三菱鉱業セメントの前身は三菱鉱業。三菱鉱業の金属部門を継承して戦後、設立されたのが三菱金属。三菱鉱業の後進会社が素材メーカーとして一本化した。三菱鉱業は、戦前の三菱財閥の主力会社だった。

 三菱グループでは三菱重工業、三菱東京UFJ銀行、三菱商事を「御三家」と呼ぶ。御三家の下に位置する主要10社に三菱マテは入る。三菱財閥源流の三菱合資会社の流れを汲む名門だ。

 三菱グループの最高意思決定機関である金曜会の代表世話人は御三家が務めた。唯一の例外は三菱鉱業セメント会長の大槻文平。大槻は金曜会代表世話人、日本経営者団体連盟(日経連、のち経団連と合併)の会長を務めるなど三菱グループの顔だった。

(つづく)

【森村和男】

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