2024年10月27日( 日 )

傲慢経営者列伝(11):三菱グループを抉る(5)三菱マテリアルの不正の病巣

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 三菱の創始者・岩崎弥太郎が、海運業を営む九十九(つくも)商会を設立したのは、1870(明治3年)10月。明治新政府の御用を引き受ける政商として頭角を現し、三菱グループは日本に君臨した。だが、「失われた30年」で、スリーダイヤの栄光の日々は消え去ろうとしている。明治以来の繁栄を継続できるのか、新しい時代に飲み込まれて「明治日本の産業革命遺産」のレガシー(遺産)集団に成り下がるのか。岐路を迎えている(敬称略)。

土壌汚染を隠してマンションを販売した前歴

 そんな三菱グループの名門で起きた品質データ改ざんは、三菱マテの隠蔽体質が最大の問題であった。これまでにも隠蔽体質が指摘されてきたが、改善されなかった。大阪市北区の大阪アメニティパーク(OAP)の土壌汚染問題では、三菱マテの隠蔽体質がさらけ出された。

 OAPは89年に閉鎖した旧三菱金属大阪精練所の跡地に、三菱マテと三菱地所が共同で行った再開発事業。高層ビル「OAPタワー」(軒高176m)を核に、オフィス、ホテル、マンションなどを集約した大規模複合施設だ。

 三菱マテは97年から実施した調査で、基準値の20倍のヒ素などを検出、地下水からセレンなどの重金属を基準値の64倍も検出した。にもかかわらず、マンションは98年3月と00年12月に完成。02年に土壌汚染問題が発覚するまで、2棟518戸の購入者に、その事実を告げずに販売していた。

 大阪府警は05年、宅建業違反容疑で当時の役員らを書類送検。その後、大阪地検は不起訴処分とした。事業主がマンション購入額の最低25%、総額75億円を解決金として住民に支払うことを条件に和解したこと。三菱地所の高木茂社長、三菱マテの西川章会長、井手明彦社長が引責辞任したことを不起訴処分の理由に挙げた。

 だが、土壌汚染問題の教訓が生かされることはなかった。三菱マテは、検査データの改ざんでも、隠蔽が問題になった。隠蔽体質は三菱マテの「遺伝子」として刷り込まれていた。

不正横行の背景に、親会社による「天下り」の弊害

イメージ    三菱マテが公表した調査報告書によると、企業グループで長年不正が横行していた背景には、親会社による「天下り」の弊害が浮かび上がる。

 連結子会社150社を抱える同グループでは、各子会社の経営陣に三菱マテ本体から出向者を充てるケースが少なくない。こうした「天下り」組は、製品の製造工程などに精通していなかった。プロパー社員が全部やってくれるので、三菱マテ本体からの出向者はノータッチ。プロパー社員との意思疎通は不十分で、経営陣に不正が報告される機会はなかった。

 親会社による「天下り」というグループ全体の人事システムが、不正が長く発覚しなかった要因と指摘されたが、「天下り」を改めることはしなかった。

三菱マテ竹内会長の居直り

 三菱マテは18年6月22日、定時株主総会を開いた。報道陣には公開されなかったが、報道各社が出席者に取材したところによると、株主からは一連の不正問題に関する質問が相次ぎ、怒鳴り声が響く場面があったと報じた。竹内章・前社長が会長として経営陣に残ることの是非を問われると、竹内はガバナンス強化に取り組んできた経緯を説明したという。

 三菱マテの子会社5社で品質データの改ざんが相次いで発覚した際、竹内章社長(当時)は「不正発覚後の対応は適切だった」と強弁。不正はすべて子会社で「本社の不正はない」として月額報酬3カ月の返上で続投を宣言した。

 だが、6月8日に「ない」はずだった本体で不正が発覚。本社の生産拠点の直島精錬所(香川県直島町)が日本工業規格(JIS)を逸脱した製品を出荷していたことが明らかになり、JIS認証が取り消しになった。竹内社長はようやく引責辞任に追い込まれた。

 しかし、会長に残るうえ、記者会見も開かなかった。公表したコメントでは引き続きグループのガバナンス体制強化に意欲を示すなど関係者のひんしゅくを買った。

三菱UFJ信託が
三菱マテの経営トップの取締役選任に反対

 竹内は代表権がなくなるが経営陣に残り、ガバナンス強化のための指導や監督に当たるという。この処遇を疑問視する声について、小野は「取締役会の同意を得られている」と正当性を主張した。

 新たな不正があることを知りながら、いったん問題の幕引きを図った経営陣の振る舞いは、同社の隠蔽体質を浮き彫りにした。

 「竹内は米デューク大学ロースクールを修了した法務部出身で、自他共に認める法務のプロ。そのため工場の現場経験がない。法律に違反しなければいいと思っている。竹内は自らの経営責任をきちんと認識していないのではないか」(三菱グループ担当記者)

 だが、「経営責任」をさらさらとるつもりのない体たらくに、三菱グループの他社からは、竹内が責任を取らずに会長に残ったことについて「見苦しい」との評。さすがに、三菱グループも堪忍袋の緒が切れた。

 株主総会では、三菱グループの三菱UFJ信託銀行が、品質不正問題の責任があるとして、竹内章ら経営トップ4人の取締役選任に反対した。三菱グループは、何としてでもグループを守るという「鉄の結束」を誇ってきたが、それが切れたことが衝撃だった。

 不正が発覚したとき、どういう責任を取るかでトップの器量がわかる。竹内は、その認識が希薄だった。三菱グループから批判を浴びた理由である。法務のプロは、経営のプロではなかったということだ。

 あれから6年。三菱マテは現在も、竹内章会長、小野直樹社長体制だ。

 「人の噂も七十五日」。世間というものは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ものだということを処世術と心得ているのだろう。傲慢経営者の極みである。

(了)

【森村和男】

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