2024年12月16日( 月 )

戒厳令発令の背景とその意味を問う~韓国はどこに向かおうとしているのか~(5)

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鹿児島大学名誉教授
ISF独立言論フォーラム編集長
木村朗

 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が11月3日夜、「非常戒厳」の宣布を発表した。
 これを受けて戒厳令に抗議する市民多数が国会議事堂の周りに集まった。また急遽国会議員も国会に駆けつけて、翌日未明には素早く戒厳令解除の要求を議決した。
 このため大統領は4日早朝には、戒厳令を解除すると表明した。戒厳令発動の2時間後に国会が戒厳令反対の決議をし、6時間後に戒厳令が解除されたわけである。
 このあまりに突然の出来事に、韓国国民だけでなく世界中の人々が驚愕した。今回の戒厳令発動から解除までの経緯を振り返りながら、韓国で一体何が起こっていたのか、その背景と意味するものは何か、また今後どのような展開となるのかを改めて考えてみたい。

アメリカは韓国での戒厳令にどのように対応したのか

米韓関係    それでは、今回の韓国での一連の戒厳令騒動についてアメリカはどのような対応を見せたのであろうか。

 米政府は3日、韓国の尹大統領自身が宣言した「非常戒厳」を解除したの受けて「安堵した」との声明を発表した。「民主主義は米韓同盟の基盤であり、今後も状況を注視する」と記した。国家安全保障会議(NSC)の報道担当者が声明を明らかにした。米国務省のパテル副報道官は記者会見で尹氏が非常戒厳を宣言するにあたり、米政府に事前に通知はしていなかったと説明した。

 米国のカート・キャンベル国務副長官は4日、韓国の尹大統領が一時的に戒厳令を宣布したことについて、「判断を大きく誤った」と述べたうえで、今後数カ月にわたり、韓国政界が「困難な状況に置かれる」と指摘した。キャンベル氏は、激しく対立している韓国の与野党が、戒厳令には一致して反対したことから、尹大統領の決断に「問題があった」との認識を示した。

 ブリンケン米国務長官は4日、戒厳令について米国は知らされていなかったとした。尹大統領とは今後数日中に協議する予定という。

 韓国には2万8,500人の米軍が駐留している。ポール・ラカメラ在韓米軍司令官は4日、米軍部隊に対し、警戒を怠らず、抗議活動が行われている地域を避け、「予期せぬ事態」が起きた場合に備えて上官に移動の計画を伝えるよう指示した。

 オースティン米国防長官は5日、計画していた韓国訪問を中止した。尹大統領が3日夜に非常戒厳令を出したことをめぐり、適切な時期ではないと判断したと複数の米当局者が明らかにした。米側は韓国側と協議したうえで訪韓を中止したという。

 その後、韓国の韓悳洙首相が駐韓アメリカ大使と会談することが9日、JNNの取材で明らかになった。これは外交関係者が明らかにしたもので、尹大統領による「非常戒厳」宣言にともなう混乱への対応策について説明するということだ。駐韓アメリカ大使はその後、与党「国民の力」の韓東勲代表とも会談することにしているという。

 以上のようなアメリカ国側の表向きの対応が伝えられる一方で、それとは異なる見方も出ている。

 田中宇氏は自身のブログ(「田中宇の国際ニュース解説」)のなかで、次のように指摘している(「韓国戒厳令の裏読み 」2024年12月5日)。

《尹は、戒厳令を発布する前に、誰がどこまで協力してくれて、誰がどこまで反対するか、綿密に調べたはずだ。野党や世論が猛反対し、軍や与党の内部から離反者が出ても、戒厳令をやり切れると考えて踏み切ったはずだ。どこで、どう間違えたのか。
私は、米国政府の戒厳令反対が失敗の決定打だったのでないかと推測している。
韓国は、米国に国家安全を依存する徹頭徹尾の対米従属だ。韓国軍は、米軍の傘下にある。米国に無断で戒厳令を敷くことはできない。尹は、戒厳令の発布について、事前に米国側の了解を得ていたはずだ。
事前に米国に根回ししなかったから猛反対されてすぐ失敗したんだ、ってか?。それはない。韓国の大統領は、軍事行動である戒厳令の施行を、米国に無断でやらない。
尹が戒厳令を発案して米国に打診したというより、米国側が尹をそそのかして戒厳令をやらせた可能性の方が高い。尹の方から打診する場合、米国側が断ったら、米上層部における尹の信頼が揺らいでしまう。尹の方から打診する可能性は低い。米国側が持ちかけたと考えるのが自然だ。
尹は、事前に米国側に相談しなかったのか。そんなはずはない。問題は、尹が米国側の誰に相談したのか、誰からそそのかされたのか、だ。トランプはまだ就任前なので、バイデン政権内の誰かだ。》

 このような田中宇氏の見方・仮説には一定の根拠があると思われる。尹大統領が戒厳令を発動したのは米国上層部の一部との合意があったのかどうなのか、今後の韓国の動向を見ていくなかでその点も注視したい。

(つづく)


<プロフィール>
木村朗
(きむら・あきら)
1954年生まれ。北九州市出身。北九州工業高等専門学校を中退後、福岡県立小倉高校を卒業。九州大学法学部、同大学院法学研究科(博士課程在籍中に交換留学生としてベオグラード大学政治学部留学)、同法学部助手を経て、88年に鹿児島大学法文学部助教授、97年から同学部教授(20年まで)。専門は平和学、国際関係論。鹿児島大学名誉教授。日本平和学会理事、東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会共同代表、国際アジア共同体学会理事長、元九州平和教育研究協議会会長などを歴任。

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