憲法改定に前のめり枝野幸男氏
-
NetIB-NEWSでは、政治経済学者の植草一秀氏のメルマガ記事を抜粋して紹介する。今回は来年7月の参院選で「『平和主義堅持』=『9条改定・緊急事態条項新設反対』の勢力を拡大させることが重要だ」と訴えた12月24日付の記事を紹介する。
日経新聞に米国コロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏が「私の履歴書」を連載している。ジェラルド・カーティス氏は大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した内容を博士論文として執筆。これがベストセラーとなり、政権与党の実力者や財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった。
CIAの上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが残した協力者一覧「クロウリーファイル」に名前が掲載されている。CIA協力者でもある。
米国の対日工作の中心は「反共政策」1945年から47年のGHQによる日本の占領初期においては徹底した「日本民主化」措置が取られたが、1947年3月にトルーマンドクトリンが発出されて米国の外交基本方針が「反共」に転じたことを背景に、対日占領政策も劇的に転換した。
敗戦後の日本には重大な断絶がある。
1947年以降の対日占領政策の基本は非民主化=反共化である。
1945~47年の占領初期だけが特異な時間帯だった。
1947年以降の時代と断絶がある。占領初期の「遺産」が「日本国憲法」である。憲法施行は1947年5月。憲法施行が半年遅れていれば、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。
1947年以降の対日政治工作中枢を担ったのが日本国際交流センター(JCIE)。JCIEはデイヴィッド・ロックフェラーが委員長を務める日米欧委員会(三極委員会=トライラテラル・コミッション)の事務局を兼ねており、日本におけるロックフェラー財閥の代表機関だった。同時にJCIEがMRA(道徳再武装)の本部をも兼ねていた。
ジェラルド・カーティス氏の日本における活動の舞台の中心がJCIEだった。ちなみに2010年にJCIE理事長に就任した渋沢健氏は渋沢栄一氏の5代目の孫にあたる。日本の紙幣の図案に渋沢栄一氏が用いられた背景にこうした事情がある。
MRAと強いつながりがあるのが統一協会・国際勝共連合であり、旧社会党右派、民社党・同盟、松下政経塾などとともにMRAという一本の縦糸で連鎖している。MRAによる日米間の文化交流プログラムがCIAの秘密ミッションの隠れ蓑になってきたと見られる。これらの活動の中核で行動してきたのがジェラルド・カーティス氏ということになる。
小泉進次郎氏はカーティス氏の計らいでコロンビア大学に在籍する機会を得ている。「私の履歴書」でカーティス氏が中曽根康弘氏との交流について記述した。カーティス氏は2013年2月に中曽根氏にインタビューし、中曽根氏の憲法改正に対する考え方が変わったことに驚いたことを記述している。
中曽根氏はインタビューで憲法改正についてこう発言した。
※続きは12月24日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「憲法改定に前のめり枝野幸男氏」で。
▼関連リンク
植草一秀の『知られざる真実』関連記事
2024年12月20日 09:452024年12月19日 13:002024年12月16日 13:002024年12月4日 12:302024年11月27日 11:302024年11月26日 15:302024年12月13日 18:30
最近の人気記事
まちかど風景
- 優良企業を集めた求人サイト
-
Premium Search 求人を探す