歴史と文教のまち・唐津(前)
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福岡市への交通アクセス
唐津市と福岡市を結ぶ西九州自動車道は、休日ともなると朝は福岡から唐津方面へ向かう車で混み合い、夜になれば逆方向に車のライトの列が続く。唐津より西には伊万里、佐世保、平戸などもあり、そちらへ向かう車もあるが、唐津は福岡から車で1時間程度と近場の観光地として親しまれている。
また、福岡と唐津を結ぶJR筑肥線は福岡市地下鉄・空港線に乗り入れており、唐津駅から天神駅、博多駅、福岡空港駅まで直通。唐津駅から福岡空港駅までは1時間半で、始発に乗れば、朝7時台の福岡空港発羽田行きの飛行機に乗ることも可能だ。
佐賀県北西部に位置する唐津市の人口は11万4,055人(2024年12月1日現在)。面積は約487㎞2で、北九州市(約492㎞2)に迫る広大な市域を擁する。05~06年にかけての平成の大合併で、呼子、浜玉、七山などの8町村を合併して今の市域になった。市域の2.7%にあたる市街地に人口の3分の1が集住。人口のうち1万人が市外へ通勤通学し、市外から市内への通勤通学は3,700人、昼間人口の夜間人口比は96.8%である。市外への通勤者のうち20%超は玄海原発がある玄海町、18%がそれぞれ福岡市と工業地域がある伊万里市となっている。唐津市には6つの公立高校(1学年は合わせて1,000名程度)と1つの私立高校があるが、大学はなく、多くの進学者が市外へ出ていくが、市外への通学者のうち40%は福岡市内の学校だという。
多様な自然風土
唐津市は広大な市域に海から山まで多様な地形があり、そこに歴史的な背景もあいまって豊富な観光資源が各地に散在している。市の中央を南北に流れる一級河川・松浦川があり、河口に形成された平野に市街地がある。市の北西部に位置し玄界灘に向かって突き出た東松浦半島は、太古の火山活動の結果生まれた丘陵地で、沿岸部にはリアス式海岸が発達して入り組んだ湾や小さな入り江が多く、美しい景観と良好な漁場を形成し、海岸のほとんどは玄海国定公園に指定されている。
代表的な観光資源を列挙すると、虹の松原、鏡山、七ツ釜、いろは島、7つの離島、波戸岬、樫原湿原、観音の滝といった自然資源に加え、菜畑遺跡、鏡神社、唐津城、特別史跡・名護屋城跡、田島神社、旧高取邸といった人文資源も豊富にある。アクティビティでは、浜崎海岸のマリンレジャー、七山の国際渓流滝登り。祭り・イベントでは唐津くんち、浜崎祇園祭り、呼子大綱引き。工芸では唐津焼。食では、呼子のイカ、唐津バーガー、松露饅頭、日本酒「万齢」「太閤」などがある。
唐津の観光名所
唐津城 城は江戸時代の初期頃までに建設されたと見られている。江戸時代に天守が実在していたかは確認されていないが、現在は1966年に建設された5層5階のRC造の模擬天守がある。歴史的実在性はともかくとして、市街の多くの場所から望むことができる場所にある唐津城天守は、唐津の観光のシンボルとなっている。
旧高取邸 明治期に炭鉱経営で財を成した高取伊好(たかとりこれよし)の邸宅。海岸沿いの約2,300坪の広大な敷地に1905年に建てられた2棟の建物は、大広間棟の1階は板敷きの能舞台になるほか、豪奢な欄間や杉板戸の絵など和風を基調としつつ洋館を併設するなど、当時を代表する近代和風建築として認められ、98年に国の重要文化財の指定を受けた。
旧唐津銀行 1912年に建てられた赤レンガの洋館。唐津出身で日本銀行本店や東京駅など日本を代表する近代建築の多数設計した辰野金吾の設計様式により、弟子の田中実が設計し建築された。
虹の松原 唐津湾沿いに広がる約4kmにもおよぶ黒松を中心とした松林で、日本三大松原の1つに数えられ、国の特別名勝にも指定されている。松原を貫く自動車道路の途中には、地元の名物として知られる「唐津バーガー」の店舗もあり、休日は観光客でにぎわう。
浜崎海岸 虹の松原に沿って唐津湾に向かう長い砂浜が続くが、福岡寄りは浜崎海岸と呼ばれ、夏は海水浴場として賑わい、またウインドサーフィンなども盛んだ。
鏡山 唐津平野にこんもりとそびえる山で、山頂まで車でのアクセスが可能。展望台からは虹の松原や唐津湾の絶景が広がる。春には桜が美しく、またパラグライダーを楽しむ愛好家もいる。
観音の滝・鳴神公園 豊かな清流の玉島川が流れる七山村の鳴神公園や観音の滝周辺は、夏のシーズンに涼求める避暑客で賑わう。イベントとして「国際渓流滝登りinななやま」(7月)や玉島川の下流では鮎祭り(9月)が開催され、食でも体験でも楽しむことができる。
樫原湿原 七山村の奥に広がる樫原湿原は、九州では貴重な高地湿原。さまざまな湿地植物が群生しており、整備された遊歩道を利用して、可憐な花々や植物・昆虫などを観察することができる。
七ツ釜 東松浦半島の特徴的な風土を堪能できるジオパーク。玄武岩が波の浸食を受けてできた7つの洞窟と、火山活動によって形成された柱状節理の造形美を見ることができる。陸上からも見ることができるが、遊覧船に乗って海側から見る七ツ釜は圧巻で、実際に洞窟のなかに入って、波が打ち寄せる迫力を体感できる。
名護屋城 豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築いた城跡。壮大な石垣と堀が残され、「名護屋城博物館」などを通して、歴史のロマンをたどることができる。
7つの離島 それぞれ定期船で渡ることができ、釣り人などで賑わうが、それ以外にも訪れる価値がある。いくつか紹介する。<高島>唐津湾の中央に浮かぶ島で「宝当神社」で有名だ。この神社は宝くじの当選祈願で多くの参拝者が訪れる。<松島>高級イタリアンのレストランがあり、1日1組限定で松島の食材を使用したイタリアンのコース料理を楽しむことができる。<加唐島>島内で採れる特産の椿油を使った化粧品があり、土産物として人気。
肥前町の棚田といろは島 東松浦半島の西側にあたる肥前町周辺には、入り組んだ海岸の各所で見事な棚田による美しい田園風景を見ることができる。また、国民宿舎いろは島は、長崎県側の福島との間に挟まれた穏やかな海に面しており、点在する島々の景色だけでなく、カヤック体験なども楽しむことができ、唐津観光の穴場スポットだ。
近世城下町の建設
唐津は、大陸との交流の歴史が古い。先史時代の菜畑遺跡は、縄文時代の水田跡で日本最古の水稲耕作遺跡とされる。古代には、遣唐使船などが大陸へ渡る際の渡航地となった。また、元寇の際、文永の役で対馬・壱岐を襲った元軍は、まず東松浦半島へ来襲した後、博多湾へ向かっている。中世期には、朝鮮半島や中国大陸の沿岸部と通商したり、ときには海賊行為を行ったりする倭寇の根拠地ともなった。全国統一をはたした豊臣秀吉は、東松浦半島の北端の名護屋に城を築いて、全国の戦国大名を集めて朝鮮半島と明への侵略の前線基地とした。唐津一帯を治めていた波多氏は秀吉の不興を買って改易となり、秀吉の家臣・寺沢氏が関ヶ原の戦いで東軍について唐津藩を起こし、江戸時代が始まった。寺沢氏は城下町の建設、松浦川の改修と虹の松原の造成を進めて、現在の市街地の基礎をつくった。ところが、寺沢氏は天草・島原の乱勃発の責任にからんでお家は断絶、その後、譜代大名が入れ代わり立ち代わり治める譜代藩となる。江戸後期には、天保の改革を行う水野忠邦などが藩主を務めた。その後、明治期には廃藩置県によって唐津藩が唐津県となり、伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県と変遷した後、1883(明治16)年に佐賀県が長崎県から分離独立した際に、佐賀県の一部となった。
現在の唐津市に相当する地域は、江戸時代の唐津藩の範囲に近い。唐津市以外の佐賀県の地域は、多くは旧佐賀藩の地域にあたり外様大名の鍋島氏が260年近くにわたって支配した。このような歴史的な背景もあり、旧佐賀藩と旧唐津藩の地域では、領地に培われた民衆の気風も違うといわれる。
(つづく)
【寺村朋輝】
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