2025年の年男(1)孫正義 (4)19歳で「人生50年計画」を立てる
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正面突破するため韓国名を名乗る
大学を卒業した孫は1980年に帰国した。事業家を志すことははっきりしていたが、冷めない情熱を一生持ち続けられるテーマは何かを熟慮した。米国と同じ社名のユニソン・ワールドという企画会社を設立して、1年かけて日本の産業を徹底的に調べた。
ユニソン・ワールドを起業する際、日本名の「安本」ではなく韓国名の「孫」の名前で会社を興すことを決めた。「孫の名前では銀行は絶対に金を貸さないぞ。お前の認識は甘い。ハードルは10倍ある。わざわざ好んでその難しい道を行くのか」と親や親戚から猛反対された。
孫の名前にこだわった理由は、渡米する際に決めた「志」にあった。『あんぽん 孫正義伝』(小学館)を書いた佐野眞一のインタビューにこう答えている。
「何十万人という在日韓国人が、日本で就職や結婚や、それこそ金を借りるとき差別を受けている。(中略)在日にも能力があることを自分が成功して、証明しなきゃならんと思ったんです。
在日の若者に、それを背中で示さなきゃいけないのに、俺が本名を隠してこそこそやったんじゃ、意味がなくなるじゃないか。アメリカに行った目的が達成できないんじゃないか。あとから、あの事業を興したのは、実は孫でしたと言ったって(ダメだ)・・・」
堂々と正面突破するために、「孫」という韓国名を名乗ることにした。一族から孫は「おまえは青い」と叱責された。
会社設立1カ月で大勝負に出る
何をテーマにするか。行き着いた結論がデジタル情報革命である。1981年9月、パソコンソフト卸会社の日本ソフトバンクを設立した。孫はイチかバチかの大博打を打てる勝負師である。チマチマやっても仕方がない。設立1カ月で全財産をかけた大勝負に出た。大阪で開かれたエレクトロニクスショーに出展したのである。
「これからはパソコンが世の中にあふれかえる時代が来る。そのパソコンにはソフトが必要だ。ソフトはソフトバンクが販売する」
この出展に800万円使った。カタログ代わりのソフトに関する雑誌を一冊作った。これに200万円かかった。
会社をつくって1カ月で、資本金1,000万円を食い潰した。まったく反応がなく、万事休すか? 1週間たって電話が一本来た。大阪の家電量販店の上新電機からだった。
「エレクトロニクスショーで、ソフトバンクの展示コーナーを見ました。すばらしい。ソフトの品ぞろえを手伝ってほしい」
そこから事業提携を結ぶことができた。まったくゼロの売上が、1年で年商20億円になった。当たるか外れるかの大博打に勝った。その後、いくどもなく繰り返される孫の大博打の第一幕は成功裡に終わった。
大病で3年間、入退院を繰り返す
「禍福は糾える縄のごとし」という。幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくる、という意味だ。孫が歩んできた半生は、まさにそう。天文学的な数字を叩き出して大成功を収めたかと思うと、記録的な損失に沈むこともしばしば。振幅はとてつもなく大きい。
創業からそうだった。大病が襲った。創業間もない1983年に重いB型肝炎に感染、約3年間入退院を繰り返した。当時、慢性B型肝炎は不治の病といわれていた。社員も取引先も去った。資金難が知れ渡り、メディアから広告掲載を拒否されるなど苦難の日々が続いた。
だが、孫は転んでもただでは起きない。病床であらゆる経営書を読破した。その後、回復し、1986年2月に社長に復帰した。
(つづく)
【森村和男】
法人名
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