福岡城天守 新資料で実在説が補強(後)

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 舞鶴公園は、古代の鴻臚館と近世の福岡城という数百年の時で隔てられた重要な史跡が同居する稀有の空間となっている。2024年、論争の的となっている福岡城天守について、実在説を補強する新しい資料が見つかった。現在、舞鶴公園と大濠公園を一体的に活用する構想が福岡市によって進められているが、福岡市がアジアの最も歴史ある国際都市の1つとして認識されるには、魅力あるランドマークの建設が望ましい。福岡城の天守こそ、まちづくりにおける景観のみならず、多くの謎を秘めた魅力によって、まさに福岡のランドマークにふさわしいのではなかろうか。

国際都市の歴史伝える鴻臚館の大発見

 福岡城の敷地内には、福岡城に勝るとも劣らないもう1つの重要な史跡がある。鴻臚館跡だ。

 鴻臚館は、奈良時代後半から平安時代末(7世紀後半~11世紀後半)まで利用された外交・交易施設で、九州の行政府・大宰府に続いて設置された。当初は海外からの外交使節を迎える迎賓館とともに、海外へ向かう遣唐使や遣新羅使の宿泊所として機能したが、そのうち民間貿易の拠点へと役割を変えたと見られている。京都と大阪にも鴻臚館があったとされるが、遺構が見つかっているのは福岡の鴻臚館のみで、国際都市としての福岡の歴史を古代に遡って物語る史跡である。

 江戸時代より、福岡藩の学者らは鴻臚館がどこにあったのかに関心を寄せ、当時は現在の呉服町付近と推定されていた。ところが、中山平次郎氏(九州帝国大学教授)が古代の記録から福岡城址内に比定。当時、帝国陸軍の駐屯地であった城内を調査して古代の瓦片を採集し、1926年、福岡城内に鴻臚館があったとする論文を発表した。その後、平和台球場の改修工事とともに発掘調査が87年に行われ、8~11世紀の中国、朝鮮、イスラムなどでつくられた陶磁器やガラス器などが出土。建物や門が建てられていたことを示す礎石群や門跡も発掘され、鴻臚館跡と確定された。

鴻臚館跡の復元計画 27年に整備完了予定

鴻臚館跡展示館内の復元展示
鴻臚館跡展示館内の復元展示

 その後の継続的な調査を経て、福岡市は2023年、鴻臚館復元整備の設計に着手、文化庁に申請を行い、24年に文化庁から復元整備着手の了承を得た。今後の計画では、26年度に①東門と塀の復元整備完了、②展示館リニューアル完了、27年度に③地形等の復元整備完了、④体験活用施設の整備完了を予定している。

鴻臚館復元整備イメージ(一部改変) 出所:福岡市
鴻臚館復元整備イメージ(一部改変) 出所:福岡市

セントラルパーク構想 150年越しの福岡城整備

 福岡城跡と鴻臚館跡の整備は、14年に福岡市が策定した「セントラルパーク構想」の一環として進められている。セントラルパーク構想とは、舞鶴公園と大濠公園を一体的に活用整備することを目指すものだ。

 舞鶴公園はもともと福岡城の城内にあたり、その名も福岡城の別名である「舞鶴城」に由来する。福岡城があったところには、明治維新後の1871年に廃藩置県により県庁が置かれたが、74年に県庁が天神へ移転したことにともない、陸軍が駐屯しその管理下に置かれた。軍用地としての管理下で江戸時代の建物はほとんどが解体され、一部は移築されるなどしたが、多くは破棄の憂き目に遭い、破壊される城の良材を惜しんだ市民がもらい受けて家屋に流用したという話も残る。その結果、福岡城には江戸期の建物はほとんど残っていない。戦後は陸上競技場と平和台球場が建設され、一部地区は引揚者の住宅地として提供された。

 一方の大濠公園は、大正期まで福岡城の大堀のままだったが、1927年に開催された東亜勧業博覧会の会場用地として周辺部が埋め立てられた。埋め立てによって造成された土地は、現在の中央区大濠1丁目と2丁目の東側を含み、それから大濠公園北側の能楽堂から大濠郵便局にかけてと、そこから水辺を福岡市立美術館まで下り、NHK福岡放送局の北側の大濠公園の入り口までのエリアにあたる。

セントラルパーク構想図(2030年頃予定)、出所:福岡市
セントラルパーク構想図(2030年頃予定)、出所:福岡市
『福岡博多市街地図』部分拡大(1916年) 出所:福岡県立図書館蔵(まだ大堀の周辺と南堀が埋め立てられる前の地図)
『福岡博多市街地図』部分拡大(1916年)
出所:福岡県立図書館蔵(まだ大堀の周辺と南堀が埋め立てられる前の地図)

 もともとは福岡城の区域でありながら、明治維新後に異なる道をたどった城内と大堀(大濠)を、本来の福岡城域として一体化するのがセントラルパーク構想だ。福岡というまちが、江戸時代の初めに福岡城を中心とした城下町として黒田長政・如水親子によって建設された由来に立ち返り、未来に向かって福岡のアイデンティティーを再確認する150年目の本格的な福岡城の公園化計画なのだ。

 セントラルパーク構想では、福岡城跡と鴻臚館跡の復元整備とともに、29年にオープンを予定する福岡県立美術館の建設計画や、Park-PFI制度を活用した企業と市民参加による持続可能な公園運営などの施策も検討されている。鴻臚館跡については復元整備が進行する予定だが、一方の福岡城については、櫓などの復元整備は進められているものの、城郭のシンボルである天守の復元は計画に含まれていない。

 福岡の新しいセントラルパークが、未来の福岡のまちづくりにふさわしいランドマークとなるように、福岡城の天守復元について前向きな検討が行われることを期待したい。

(了)

【寺村朋輝】

(中)

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