【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(27)

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 元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。

第8フェーズ 2013.5~2018.4

人生二毛作/田川・暖家の丘
~コーチングとの出会い

 市役所を定年退職した後、どう生きるかはずっと抱えていた重い荷物(だった。広太郎さんの落選後も不本意ながら居残ってしまった身故、再任用など福岡市にお世話になるつもりはなかったし、退職後の人生を人事当局に預けるつもりもなかったが、かと言って大学教員の道はたびたび失敗し、見通しはまったく立たなかった。

 そういうなか、定年退職の前年、議会改革の取り組みで知り合っていた当時田川市議だった佐々木允さん(現福岡県議会副議長)から両親が経営している社会福祉法人猪位金福祉会「暖家の丘」の事務長を探しているという話を聞きつけた。調べてみると田川市内までは、車で1時間程度(片道50km)、通えないことはない。介護事業の経験はまったくないし、福祉分野も最初の生活保護行政だけのまったくの素人だったが、思いっきり手を挙げた。市役所のOBに務まるのか、先方の不安も大きかったと思うが、話は決まった。もちろん、僕の不安も大きかったが、退職後の人生を自分で選択できたことと、軛が解かれたような安堵感は本当に格別だった。

 結果として、初めての土地、初めての仕事となり、「人生二毛作」というミッションを手に入れ、自分自身を鼓舞することもできた。採用は平成25年(2013)5月1日であったので、4月まるまる1カ月が願ってもないモラトリアムになり、お釈迦様の誕生日の4月8日から「奈良ホテル12連泊」の生涯最高の至福の旅を堪能した。

 ※その頃は迷いの多い日々を過ごしていたので、平成23年(2011)2月から、myコーチとして丸本昭さん(当時人吉市役所/現オン・ストレングス代表)にコーチングをお願いしていた。僕の問いは、いつも、「これから何をどうやって生きて行けばよいか」「大きなリスクを取った人生だから、ただ終わりたくない、どうすれば人生の収支が調うか」みたいなことばかりだったと記憶している。 ^

 平成26年(2014)年賀状にはこう書いた。

「私こと、昨年3月末に福岡市役所を定年退職させていただき、人生二毛作と心に期して、その地を筑豊/田川に求め、5月から社会福祉法人猪位金福祉会「暖家の丘」の事務長として勤務しております。初めての土地での初めての仕事、往復100キロの車通勤はハードですが、八木山峠、烏尾峠を越えての香春岳、福智山、英彦山などの筑豊の山々は実に豊かです。現在、暖家の丘は日本一の地域包括ケアの拠点を目指し、中期経営計画の策定プロジェクトに邁進しています。ダンケはドイツ語で、ありがとうの意味です。ありがとうは魔法の言葉、ありがとうが日本一飛び交う暖家の丘を目指します。皆さまの温かいご支援をヨロシクお願いします。」

暖家の丘の心/明るい笑顔 暖かいサービス
「ありがとう」で伝える感謝の心

 「暖家の丘」は、在宅介護全般をフルラインで担い、デイサービスから始まった法人は創業15年目を迎え、田川地域随一の陣容を構えていた。当時、さらにサービス付き高齢者向け住宅98戸、デイサービス、巡回サービス、保育園、診療所及び法人本部からなる複合拠点施設を建設したばかりで、真新しいOffice に真新しい机、椅子と素晴らしい環境で、僕の「人生二毛作」は始まった。

 「暖家の丘」の経営は、万事ポジティブで事業意欲が旺盛かつ情の篤い佐々木陽子さんを理事長に、市議を4期務めながらまったく偉ぶったところのない、万事慎重で心配性の佐々木一広さんが相談役という夫婦の絶妙の組み合わせで、それを法人の最大のリソースとして事業規模を着実に拡大していた。僕は着任初日の朝礼で「日本一を目指しましょう」と大風呂敷を広げた。

118VS46ショック

 僕が事務長に就任した平成25年度(2013)は事業規模の拡大で、職員数は300人を超える体制となっていたが、1年間の採用者が118人で離職者が46人、この流動性は衝撃だった。採用/離職手続きだけでも大変な負担だが、事業所現場では、シフト管理で目一杯となる。介護事業がとことん人で成り立っており、人を育てることとともに、職員の働きがいや働きやすい職場環境づくりが法人の経営と将来に直結することを痛感させられた。

 ここは僕の得意分野だと思い、外部講師をたっぷり投入して、稼ぎもないのに、あれこれやらせてもらった。やっぱり公務員はお金を使うことが、実に安易なのだと痛感もさせられた。研修と言えば、講師招聘に関わる費用しか頭になかったが、研修参加する職員の拘束時間もコストなのだという意識すらなかった。こうした費用が3K(キツイ、汚い、給料安い)といわれる職場の汗と涙から生み出されているのであり、介護の仕事を3Kではなく、5K(感謝、感動、交流、貢献、向上)にすることが、経営の仕事だと肝に銘じた。

 仕事の性格も内容も違うので、一概に比較はできないが、給与の面だけを見れば、公務員の半分の処遇だと思った。恵まれない環境のなかで、「介護の仕事は天職だ」と頑張っているたくさんの介護職員がいる。超高齢社会に突入しつつある今日、介護事業の重要性は論を俟たない。介護職員の処遇改善は、介護事業に関わる経営者、自治体、政府、そして社会全体にとって喫緊の課題だと思う。

往復100km、2時間の通勤は大変だったが、頑張った!

 必死こいて働いたら、翌年、年俸が大幅にアップされた(給与については、採用時から一切の要求はしていなかった。福岡市での再任用の場合での相場も知らなかったし、調べなかった。雇っていただけただけでありがたかったから)。

 当時経営アドバイザーをお務めいただいた松田美幸さん/元福岡市経営管理委員会委員/元福津市副市長の助言で、平成25年の冬期賞与時から始めていた理事長からの「ありがとうカード」にはこうあった。「想定外の頑張りに、倍返しのありがとうを送ります。職員を大切に思うあなたに学ばせていただきました」。これは嬉しかったし、「ありがとうカード」の価値を実感した。

 それ以降「暖家の丘」の夏と冬の賞与の贈呈時には、全職員に「ありがとうチョコ」2つと、管理者には理事長からの「ありがとうカード」が手渡される。田川市はチロルチョコの松尾製菓発祥の地であり、オリジナルのラッピングをしたチョコ2つ、「1つは頑張ったあなたに、ありがとう。もう1つは、あなたが、大切な誰かにありがとうとともに、渡してください。『ありがとうと言われるあなた』と『ありがとうが言えるあなた』を大切に」が謳い文句だった。これは今でも続いているそうで、嬉しい。

(つづく)


<著者プロフィール>
吉村慎一
(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)

『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
https://azusashoin.shop-pro.jp/?pid=181693411

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