2024年11月25日( 月 )

現代アートは資本主義を最も先鋭的に表現する!(4)

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東京画廊代表取締役社長 山本豊津氏


「使用価値」と「交換価値」の乖離が資本主義の特徴


 15――先生は著書のなかで、「現代アートは資本主義をもっとも先鋭的に表している」と言われています。それは、どういうことでしょうか。

 山本 カール・マルクスは、その著『資本論』のなかで、商品の価値を「使用価値」と「交換価値」に分けて考えています。「使用価値」とは、商品そのものが日常の生活のなかで使われることによって生み出される価値です。ノートならばそこに文字を書きとめ、記録する役割があり、使用価値があります。米や肉といった食料品ならば、それを食べることによって、栄養になり、生命と生命活動を維持するエネルギーを得るという使用価値があります。
 一方、「交換価値」とは、その商品と他の商品とを交換する時の価値です。例えば、米5キロをノートと交換するとします。お互いが相手の持っている商品をどれだけ必要としているかによって、交換レートは変わります。例えば、ある取引で米5キロとノート10冊が交換されたとします。すると、米1キロはノート2冊分の価値だということがわかります。逆にノート1冊は米500グラムの価値だと言うことになります。
 このように、「交換価値」とは、商品同士を交換する際の価値です。今の例は物々交換の場合ですが、貨幣経済の現在では、「交換価値」は貨幣との交換レートで表されます。すなわち、商品の「価格」です。米5キロが2,000円であったり、ノート1冊が200円であったりします。

 この「交換価値」=「価格」は実に曲者です。基本的に、価格は需要と供給の関係で変動します。しかしそれだけではありません。投資とか投機行動によっても大きく変動するのです。しかし、投資とか投機行動によって、どんどん価格が上がっていったとしても、商品の「使用価値」自体が上がったわけではありません。このような「使用価値」と「交換価値」の乖離が資本主義の特徴だと思います。
資本主義社会では、「希少性」と「有用性」が相反する
 このように「交換価値」が、時に人の思惑でどんどん上がっていくというのは、まさに絵画の価格の構造そのものなのです。そして、私なりの解釈が許されるならば、出発時点で、「使用価値」が低いものほど、時間が経つと「交換価値」が人の思惑で上がる可能性があるということです、稀少性と有用性は相反するものです。

 例えば、絵画は決して「使用価値」自体が高いものだとは言えません。ノートやボールペンの方がはるかに有用性、「使用価値」が高いです。ところが、「使用価値」が高いものは生活必需品であることも多く、当然需要が多いので、大量生産され、基本的に値段は下がることはあっても、上がることはありません。
 それに対して、絵画はどうかと言うと、版画やリトグラフなどは例外として、1人の画家が生涯に描く点数は多くても数千点です。世界70億人のなかで、その画家の絵を買うことができる人は、数千人しかいないのです。一日1点描いても、10年で3,650点です。しかし、1日1点完成させるのは至難の業です。つまり、ひじょうに稀少性が高い商品ということになります。
 このパラドックスは、絵画だけにだけ起きるものではありません。わかりやすい例で言えば、「金」があります。「金」は、全世界の総量がオリンピック公式プール3杯半分と言われています。その稀少性から価値が認められていますが、最近でこそ携帯電話などの通信機に使われているとは言え、有用性自体は決して高い金属ではありませんでした。

 このように考えると、絵画というのは、日常の有用性、「使用価値」が低いがゆえに、「交換価値」が上がるという、資本主義社会の価格と価値のパラドックスを象徴するものだということがわかっていただけると思います。
引き裂くことによって、「破壊」を表現、それを美に昇華
 ――「使用価値」と「交換価値」については理解できました。ところで、同じ稀少性のもの、絵画でも、価格の上がるものと上がらないものは、当然出てくると思いますが、この点はどう考えたらよろしいですか。

 山本 それはいろいろなケースがあり一概に言えません。そこで、実例で申し上げます。
 例えば、今回の本の口絵に使わせていただいたルーチョ・フォンタナの『空間概念、期待』(大原美術館蔵)という作品があります。フォンタナは、彩と静的な形態を主とする既知の芸術を放棄し、時間と空間の結合に基づいた芸術の展開を主題とする「空間主義」をうち出したイタリア人の芸術家で、世界的に高い評価を受け、この絵画自体も、いまや数十億円のものです。ご覧になっておわかりのように、赤く塗り込めたキャンバスに、軽やかな曲線をえがく三筋の切れ目が入れられているだけです。一般的に考えると、布を鋭利な刃物で引き裂けば、ゴミになってしまいます。

 ところが、フォンタナはキャンバスを引き裂くことによって、「破壊」を表現、それを美に昇華させました。そして、重要なことは、「破壊」という行為が美になったこと、「壊れたものが美しい」という概念は、美術史上、フォンタナ以前には出ていないことです。このように、アーティストは、私たちが美しいと思っていることを超えて、「こういう見方はどうか」とどんどん、拡大していってくれます。そこに価値があるのです。
それは美術ではなく、単に絵が上手いというだけのこと
 私は教鞭をとっている大学の講義で、よく学生に「あなたは自分がいつから富士山を美しいと思うようになったかを覚えていますか」という質問をします。そして、「自分が富士山をいつから美しいと思うようになったかを考えない人は、富士山を描いてはいけないし、美術家を志すのも止めた方がよい」と続けます。美術家を志す、学生であれば、一般の人が考えているように、漠然と、富士山を描いても、それは美術にならないからです。自分の作品は、美術史の流れという文脈のなかで、どういう位置を占めているのかを言えなければ、それは美術になりません。単に従来と同じ発想で、手法で、どんなに上手い絵を描いても、それは美術ではなく、単に絵が上手いと言うだけのことです。(つづく)


【金木 亮憲】

<プロフィール>
山本 豊津(やまもと・ほづ)
東京画廊代表取締役社長。1948年、東京生まれ。71年、武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。元大蔵大臣村山達雄秘書。2014、15年アート・バーゼル(香港)、15年アート・バーゼル(スイス)へ出展、日本の現代美術を紹介。アートフェア東京のコミッティ、全銀座会の催事委員を務め多くのプロジェクトを手がける。02年には、弟の田畑幸人氏が北京にB.T.A.P(BEIJING TOKYO ART PROJECTS)をオープンした。

 

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