孫正義シリーズ(6)AI(=人工知能)を考える(2)

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福岡大学名誉教授 大嶋仁

AIとの共存は可能か?

 私の知るかぎり、AIと深く付き合って深い協力関係を築けている人といえば、棋界の名将、羽生善治氏である。氏はかなり前からAIと対局して腕を磨いているそうだが、その過程で「AIにも弱点がある」と気づいたという。

 その「弱点」とは、「理詰めにしか考えられない」ことにあるのだそうだ。従って、AIに勝つには、「理詰め」を超えたヒラメキが必要ということになる。そのヒラメキは対局中に訪れることもあるが、同じ将棋仲間と談笑しているときなどに、しばしば頭に浮かんでくるという。要するに、AIだけを相手にせず、時々仲間と集まることが大事だというのだ。

 なるほど、と納得した私は、一体、AIと対局するのと、仲間と談笑するとの違いは何か?を考えた。無論、心的状態の違いもあるだろうが、言語の違いもあるにちがいないと思った。となると、AIの問題は言語の問題ということになる。

 そこでAIの発展史をたどってみたら、AIが言語理論を基にして発展してきたことがわかった。AI開発は、「言語をどのように理解するか」を最優先課題としてきたのだ。

 この課題に最初に取り組んだのは、ナチス・ドイツの暗号解読機を発明したイギリスのチューリングで、彼は「コンピューターに知能があるかないかをテストする方法」を考えついている。普通の人間の言語をコンピューターがどう理解し、その言語を用いてそう返答できるか、そこをたしかめたのだ。

 彼のこのテストが、後になって「自然言語プログラム」になった。コンピューターは当初は数学的=論理的言語しか理解できなかったのだが、「自然言語」すなわち私たちが日常使う言語をも処理できるようなプログラムの作成が追究されたのだ。

 これが完成した暁には、コンピューターは最低でも私たちの知能をもつことになり、分野によっては、私たちよりはるかに高い知能を発揮できるようになるのだ。

 「自然言語プログラム」はさらに進化して、「ディープ・ラーニング」と呼ばれる人間の脳神経組織を模倣したシステムの確立へとつながった。これで言語的な課題はほぼ乗り越えられたかに見えるが、脳神経と身体各部とを結ぶ全体的ネットワークまでは取り込んでいないため、人間の思考と行動の根源にある欲動や情動までは取り込めていないようだ。それができてしまえば、本当の「超人」となる。はたして、そういう日が来るのか?

 AIの現状をテストするために、AIに「バカヤロウ」と叫んでみたことがある。すると「私は感情がないので、仮に私が人間だったらと考えてお答えします。まずは冷静になることです」という答えが返ってきた。そこで、「嘘をいえ。お前にも感情があるはずだ」というと、これに対しては「そう見えるだけで、実際に感情はない。感情があるように見えるのは、感情のパターンをアルゴリズム化しているからで、それは真の感情ではない」という模範解答が返ってきた。

 ここで「アルゴリズム」という言葉が出てきたが、これは論理計算に類するもので、AIの能力はまさにこれなのである。ある問題について、論理計算を用いてできるだけ正確かつ迅速に答えを出す方法がアルゴリズム。これを組み立てれば、どんな問題も処理できるのだ。

 先述のチューリングがナチスの暗号を解読できたのも、彼が論理計算の達人だったからだ。AIとは論理計算の機械なのであり、こと論理計算においては人間より機械のほうがはるかに優秀なのである。そういうわけで、この機械は重宝する。人力ではとてつもなく大変な仕事も、わずかの時間でこなせてしまうのだ。

 ここで最初に出てきた羽生善治氏の話に戻る。私が氏の発言で注目するのは、氏がAIと対局するときのAI的な論理計算言語と、将棋仲間と談笑するときの言語、すなわち「自然言語」とを使い分けていることである。

 前者は一対一の「理詰め」の対話であり、後者は何人かの仲間たちとの「談笑」であって、そこでは情感と身体的知覚がウエートを占めている。この2つを行き来できるのが「人間」なのであって、それが一方に傾けば「人間」ではなくなるのだ。

 つまり、羽生氏の強みは「人間である」ことによる。AIに勝つには、「人間」である必要があるのだ。

 「人間である」ことを、脳科学的に定義することもできる。体内に侵入した病原菌と闘うために脳が抗体を生み出す仕組みを発見したエデルマンは、次のように言っている。

 「人間の脳は外界をキャッチして世界像をつくるが、そこには論理能力も計算能力もなく、感覚的な識別に基づく直観があるだけだ。しかし、この基礎的な能力は、あとから論理や計算を覚えてもずっと存続し、それが脳を創造的なものにしているのだ」と。

 つまり、「人間であること」と「創造的」であることは同値で、その点で論理計算しかできないAIは人間に劣るということだ。ソフトバンクの孫会長は「AIとの共存」を唱えたが、その共存に必要なことは、どうやら「人間は人間でありさえすればいい」ということになる。

(つづく)

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