【BIS論壇№ 472】薩摩藩の郷中教育

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 NetIB-Newsでは、日本ビジネスインテリジェンス協会理事長・中川十郎氏の「BIS論壇」を掲載している。
 今回は3月3日の記事を紹介する。

 BIS情報研究会にもたびたび参加され、ご指導をいただいている中野英人不動産会社社長が3月15日午後、目黒の三州倶楽部(島津藩が統治していた薩摩、大隅、宮崎日向の3州より命名)で会合を開き、そこで有名な薩摩藩の「郷中(ごじゅう)教育」についても話し合いたいという。

 たまたま筆者は戦中派最後の年代で1945年の終戦までの4~5年間、大隅半島肝付家城下町の高山町(現・肝付町)で郷中教育を受けた最後の年代だ。この機会に明治維新で活躍した西郷隆盛、大久保利通、日露戦争で活躍の東郷平八郎連合艦隊司令長官、大山巌陸軍大将、初代文部大臣・森有礼、五代友厚などは鶴丸城の城下町である加治屋町で郷中教育を受けて、明治維新で活躍した偉人である。

 たまたま脳研究、とくに覚酔下手術で日本でも有名な駒込病院前脳神経外科部長の篠浦先生が講演会で、教育上、幼児からの教育を重視した旧薩摩藩の郷中教育は脳医学上も理想的な教育システムであったとのお話を聞き、強い共感と感銘を受けたことを覚えている。

 薩摩郷中教育は500年前の島津日新齋(忠良)が文武両道の名将で神道、仏教、儒教を基に相互教育を目指し、小稚児(こちご)6~10歳、長稚児(おせちご)11~15歳、二才(にせ)15~25歳が各集落で先輩が後輩を指導。読み書きそろばん、基礎学習、剣術、弓術、川遊び、山登りなどの体力づくりも行った。先輩が後輩を指導する相互教育システムであった。これは英国のボーイスカウトの原型、米国のコミュニテイカレッジの原型とも言われている。

 君主に忠義、親に孝行、下のものに慈悲を旨とし、(1)武士道の義を実践せよ、(2)心身を鍛錬せよ、(3)嘘をいうな、(4)弱い者いじめをするな、(5)質実剛健たれ、(6)女に接するな、(7)金銭利欲に関する観念を最も卑しむこと、を強調して先輩が後輩を指導した。さらに、詮議(せんぎ)を重視し、ケーススタデイーで難問の解決策をお互いに討論して見いだす教育方針をとった。教師無き教育で先輩が後輩を指導。同輩はお互いに助け合い、学びつつ考え、考えつつ学ぶ、自学自習の学習法であった。 
 そのうちの1つに「泣くかい、飛ぶかい、泣くよっかひっ飛べ」という教えがあり、行動しなかったことを後悔するより、勇気を出して決断して行動せよ、と実践的な教えを受けたことを80年後の今でもありありと覚えている。 

 日本は目下政治家の裏金問題、財界の退廃、教育の衰退、1人あたり国民所得の世界30位への後退などすべてにおいて衰退しつつある。国の基は教育である。今一度、相互教育の薩摩の郷中教育に学び、自発的相互教育を日本の教育に取り入れてはいかがであろうか。


<プロフィール>
中川十郎(なかがわ・ じゅうろう)

 鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)。

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