福岡城天守台発掘調査を文化庁が許可~他城の発掘例、大和郡山城、唐津城
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福岡市は、⽂化庁へ申請していた福岡城天守台の発掘調査について許可が出たことを発表した。
調査計画では以下のように実施予定となっている。
(1)測量調査:発掘調査に先⽴って、基礎図作成のため本丸から天守台にかけて測量。
(2)発掘調査:天守台の礎⽯周辺での作業員による発掘調査。
(3)⽯垣調査:天守台⽯垣の構造・強度確認のため、レーダー探査による調査。発掘調査と並⾏して実施される。
(4)地盤調査:ボーリング調査や圧密度調査などにより天守台の地盤を調査。発掘調査終了後に実施予定。市は2025年度予算案に発掘調査費用として4,823万円を盛り込んでおり、予算が成立すれば4月から調査に着手予定としている。
福岡城天守台の石垣と礎石 天守台についてはこれまで一度も発掘調査が行われていなかったとされており、当時の姿を知る手掛かりとなる何らかの遺物が発見されるのか、期待が高まる。
大和郡山城では天守実在を確認
発掘調査によって天守の実在が確認された例がある。たとえば、奈良県にある大和郡山城は、お地蔵さんなどが石垣に転用されていることで有名だが、大和郡山市は2013~17年に天守台の石垣の整備事業に取り組んだ。
発掘調査が行われた大和郡山城の天守台
出所:大和郡山市資料それまで大和郡山城の天守については史料がないことから「幻の天守」とされていたが、発掘調査の結果、礎石が確認され、天守が実在していたと考えられるようになった。規模としては1階が7×8間、高さとしては四重ないし五重の天守が想定され、築城の年代としては、出土した瓦などから16世紀末の豊臣政権期が考えられるという。
唐津城の発掘調査
近隣でも大規模な発掘調査が行われた城がある。手近な行楽地として休日となれば福岡県から多くの行楽客が訪れる佐賀県唐津市の唐津城だ。唐津の街に入れば、いたるところから青い空を背景に海辺の小高い山に建つ唐津城の天守が見える。だが、この天守は実在が証明されたものではない。1966年に文化観光施設としてコンクリートで建てられた模擬天守だ。
仮設トラスで支えられる唐津城天守
出所:唐津市教育委員会資料唐津市は築城400年を記念する2008年から唐津城石垣再築整備事業を行っており、天守台の発掘調査も行われた。実際にはなかったと考えられる唐津城の天守は、ありていにいえば「偽物」だが、その発掘調査に際しては、慎重に仮設トラスで模擬天守を支えながら天守台の石垣のみを解体・積み直しする工法で修復作業が行われた。画像を見ると天守がまるで宙に浮いたように見えるが、天守の真下には16本(4×4)の円柱状のコンクリート基礎杭があって、それが天守を支えている。
このような工法は全国的にも例がなく初めての試みとのことだ。歴史的根拠が怪しいとはいえ、来年には建設から60周年を迎える模擬天守はすでに唐津市のシンボルとなっており、まるで壊れ物を扱うような慎重な作業ぶりが、かけがえのない模擬天守に対する同市の愛着を物語っているように見受けられる。
天守台の下から旧石垣が出現
肝心の発掘調査の結果だが、天守台周辺の解体された現在の石垣の下から、古い石垣が発見された。現在の石垣が加工した割石を用いているのに対して、古い石垣はいずれも加工されない自然石が用いられており、石を積み上げる勾配が緩いことや技術的レベルなどからして、現在の石垣に先行する古い時代のものと考えられている。豊臣秀吉が1591年に築城を開始し数カ月で完成させた肥前名護屋城の石垣と似ていることから、同時期に築城された可能性が考えられる。従来、唐津城は通説として、江戸時代以降に着工されたものと考えられていたが、実際にはそれより10年ほど前から築城が開始されており、その背景として文禄慶長の役において後詰め(後方支援)の役割を担った可能性が考えられるという。また、天守台以外の石垣まで含めて大規模に行われた発掘調査では、金箔瓦も見つかるなど、唐津城の位置づけについて大いに検討を要する数々の発見があった。
このように城郭は地域の宝として多くの秘密を内側に秘めている可能性がある。福岡城天守台の発掘調査が、唐津城ほど大規模に行われるものではないにしても、ひょっとして何らかの発見があるのか、進展を見守りたい。
【寺村朋輝】
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