フィリピンにすべてを賭ける

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日本を見限った15年前の決断

セブ島 イメージ    15年前の2010年、日本はリーマン・ショックの余波で多くの企業が倒産に追い込まれていた。そんな中、福岡地区で中堅マンション企業を率いていたAは、業界内で注目される若手経営者だった。しかし、彼の心のなかには別の思いがあった。「人口が減り続ける日本で頑張っても、将来の成長はたかが知れている。海外に出て、新しいビジネスの可能性に挑戦したい」

 そう考え抜いた末にたどり着いた結論は、「フィリピンで住宅供給を行いながら、日本で不足する介護や福祉の専門人材を育成するビジネスを立ち上げよう」というものだった。Aはセブ島を拠点に選び、20人の若手社員を引き連れて新たな一歩を踏み出した。
 15年間を振り返ったAの所感は次の通りだ。

15年間を振り返って

1. 経済成長と国民性:この15年、フィリピンの経済は急速に発展し、中産階級の層が厚くなった。日本と比べ、家族への深い愛情や結束力には驚かされるばかりだ。真面目に働く姿勢にも、心から感心する。

2. 政治と経済の構造:フィリピンの政治は二大勢力による権力争いが激しく、経済は2つの巨大財閥が牛耳っている。それでも、外国人企業への規制は比較的緩やかで、ビジネスを始めやすい環境にある。ただ、国の収入の多くは海外で働く家事労働者からの送金に頼っているのが現状だ。Aはこの点に危機感を抱く。「政府は製造業を呼び込み、若者が国内に定着する政策を進めるべきだ。そうしないと、隣のベトナムに大きく差をつけられる。ベトナムは今や中国に代わって『世界の工場』としての地位を築きつつある。フィリピンには大学卒業者も多いのだから、人材不足の心配はないはずだ」と力説する。

3. 地政学的な不安:今後の最大の懸念は、南シナ海をめぐる中国との緊張だ。ベトナムはすでに中国と対抗する準備を進めており、フィリピンも独自の産業を育てることが急務となっている。

介護人材育成ビジネスの成果と変化

 15年前、Aはフィリピンで日本語学校を開設し、介護資格を取得させる仕組みをつくり上げた。学生たちは「家族を養うため」に必死で学び、卒業後は日本の老人ホームに見習いとして派遣された。その後、正式な資格を取得し、懸命に働いてくれた。派遣先の施設から「クレーム」は一度もなく、「本当にすばらしい人材をありがとう」と感謝の言葉を何度もいただいた。Aは内心、「フィリピンに進出して正解だった」と自分を褒めた。

 ところが、ここ5~6年で状況が一変した。以前は「日本で働けるのは名誉」と喜んでいた介護士たちが、実は「収入が多いから頑張っていた」ことが分かってきた。お金を稼ぐことが第一の動機になるのは当然だ。では、何が変わったのか?彼らの就職先の希望が、ドバイ(中東)やオーストラリアにシフトしたのだ。「日本より稼げるし、今では収入が倍近く違う。月収40~50万円にもなる。それに英語圏なので言葉のハードルも低い」とAは説明する。そして深いため息をついた。「ここまで日本が経済的に弱くなるとは、想像もしていなかったよ」

タナワン地区でのリゾート開発計画

 フィリピン西部、南シナ海に浮かぶパラワン島(細長い島)・タナワン地区は、同国の富裕層がこぞって訪れるリゾート地だ。美しい自然環境はもちろん、地形的に台風がほとんど来ないことが広く知られている。そのため、お金持ちが安心して長期滞在を楽しむ場所として人気がある。

 Aの最後の大勝負は、この地にリゾート施設を建設することだ。「わざわざここに来る日本人は珍しいかもしれない。でも、このビジネスには絶対の自信がある」と、彼は強い決意を見せている。

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