
日暮れの光景(富士山と河口湖) © koichi_hayakawa
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富裕層やインバウンドをターゲットにした結果、似たような外観のビルばかりできている気がする。再開発したのはいいものの、人がいない。次世代ビルの高級化によって、消費に使えるお金を多く持たない若者たちが、自ずと街で活動できる範囲が狭められている。中心地で進む再開発は、貧しい日本人を静かに排除し始めているのだろうか。
金太郎あめ化した開発

分譲マンションであれば短期で資金を回収できて、一度売ったら後は管理組合が維持管理することになる。デベロッパーにしてみれば「売りっぱなし」でよく、事業リスクが低い。都心や駅の近くといった立地のタワーマンションとなれば、職住近接などのニーズに加え、ホテルライクな生活や利便性の高さ、加えて資産価値が上がりそうだという期待感から確実に購入層が見込める。売却しやすい住宅の床面積を増加させれば、その分だけ利益が出る。収益性が見込めるタワマンを含む再開発事業は、デベロッパーにとって大きなメリットが得られる。
昨今の再開発ラッシュで生み出される空間は、低層部に多少の商業施設(多くはチェーン店舗)や公共機能が入り、それ以外の床はほとんどがタワマンであるような、金太郎あめ化した開発が増えてしまっている。本来の都市再生の主旨から見ると、民間側からの提案制度というのは、民間の資金や創意工夫によって、自治体だけではできないような都市再生を期待するものだった。しかし、民間側は営利企業であるので、創意工夫よりも事業の推進とリスクの低減、収益の最大化が主眼となりがちだ。そのなかで、自治体側が設定している容積率割り増しのための“公共貢献メニュー”のなかから、なるべく事業に有利になるようそれらを選択し、その方程式を解こうとする。結果、どこも似たような構成、同じような空間になってしまう。
食い違う「必要なこと」

都市計画は、大きく2つの手法に分けられる。民間企業の活動を制限するか、あるいは補助金や制度の規制緩和を行うという交換条件付きで「必要なこと」を行ってもらうか…。禁止するか、国や自治体が代わりの利益を用意して導くかのどちらかだ。もちろんこれには一定の効果があると思われるが、しかし、利益追求と社会貢献は背反した関係のままという前提で、それを補助金や規制緩和が何とか接着しているという状態が続く。民間企業による都市開発の問題の根本は、開発者の利益追求と社会が必要としていることとの間に乖離があることだ。消費者に「必要とされること」と、社会に「必要なこと」が食い違う。金銭的利益を向上させる経済の合理性と、私たちが生きていく環境を持続させるための合理性がかみ合わないのだ。
日本の建設業界の特徴は、ゼネコンや組織設計と呼ばれる大規模組織が、総合力のある安定した体制で都市の開発を担ってきたことであり、これは世界にも類を見ない体制だといわれる。しかし、巨大な組織を維持していくために多くの利益を追求し、大規模なプロジェクトを次々と実現していく推進力は、過当競争を煽り、過剰な開発を推し進めてしまうという面もあるだろう。また、今後も景気の良い状態が続く保証もない。
デベロッパーのある人々は、今後の都市開発は中規模や小規模な開発へと転じざるを得ないと予想する。市民生活の舞台を充実させ、低層でまちのスケール感にあった開発、そこに戻っていくのだろうか。
国や自治体がトップダウンで進めた「第一弾の都市開発」のなかでならまだしも、それが力を失い、別々の意図を持つ民間企業が都市空間を商品として開発する「第二弾の都市開発」の時代。50年以上前、都市問題の解決を目指し先人たちは知恵を結集して「高層ビル建設」という「革命技術」を生み出した。私たちは今、人口減少の時代にふさわしい「新たな解決方法」を生み出すための入口に立たされている。「稼ぐ行政」が謳われるようになり、自治体の取り組みにさえも経済的合理性が厳しく求められるようになった現在、誰が率先して環境課題、社会課題の解決や地域にとって必要な都市再生に取り組んでいくのか。ヒントとなる「逆開発」という視点も交えてその手法を考えていきたい(逆開発については、vol.57/2023年2月末発刊『都市は「地形に戻す」逆開発へ』を参照)。
ジェネリックシティ

建築家レム・コールハースは、かつてグローバリゼーションの進む都市の様子を批判した。90年代に進んだグローバリゼーションは、世界中の国の都心部をグローバルチェーン店がひしめく無個性の消費空間へと変えていき、土地の色がどんどん失われていった。その様子は空港と似ていて、どの空港でも一通り似たような店がそろっているという風景を、彼は「ジェネリックシティ」と呼んだ。変わったのは、メーカーが開発した新素材や、商社が発掘した少し趣の違う表層材。表向きのビジュアルだけ薄化粧して時流の変化を捉えるが、中身はさほど変わらない。法律や規制のなかで趣向を凝らす建築家の世界観が届きおよぶ範囲にも、限界がある。
利益に向かって直線で進もうとする戦略にとって、その地域で蓄積されてきた歴史は邪魔になる。最短距離を進む「経済」は歴史を破壊し、代わりに観光客向けの「歴史っぽいもの」に置き換えていく。長い年月を経て蓄積されるはずのまちの厚みが剝奪され、ジェネリックな都市が姿を見せる。21世紀の日本の大都市で本格化したのは、この表層的で浅薄な「ジェネリックシティ」の進行と同時に、都心部への投資の集中、大規模な商業施設やオフィスビルの台頭と小規模でローカルな店舗の駆逐だった。それがすでに一通り進んだ各都市を、パンデミックが襲った。
迂回する経済
![[参考文献]迂回する経済の都市論 吉江俊](http://www.data-max.co.jp/files/article/2025/04/machi/20250407_024-05.jpg)
都市計画学者の吉江俊氏は『〈迂回する経済〉の都市論』のなかで、高層ビルを建てすぐにコストを回収する、というような、目的に向かって最短で利益を上げていこうとする都市開発の方法を「直線の経済」と呼んでいる。これは、短期的な視点に立てばすぐに利益を上げられるかもしれないが、長期的な視点に立ったとき、本当に社会的な利益になるのか、ひいては企業の継続的な利益につながるのかに、疑問を呈したものだ。
吉江氏が提唱するのが、すぐには利益が出なくとも長期的な視点で利益があるように開発を調整していく、「迂回する経済」の重要性だ。たとえば都市開発の際に、建物の床面積を最大化しテナントを誘致するような「経済に直結する考え」とは対比的に、あえて無料で開かれたパブリックスペースを十分に用意することで、利用者のリピート増加やその幅の拡大、開発地や地域周辺のイメージ向上につながり、都市開発が断続的に成功するという考え方だ。
前者を「直進する経済」と呼ぶなら、後者は「迂回する経済」である。経済活動をシャットアウトするわけではなく、経済活動を行ったまま、それが長期的な視野で見ても回っていくような経済の在り方、雪だるま式に価値が増幅する都市開発の在り方を提唱する。要するに、都市や地域の開発地や計画対象から視野を広げて、人々の市民生活(パブリックライフ)を豊かにすることが自らの利益に還ってくる、と考えるアプローチである。最短距離で利益を追求する計画の代わりに、パブリックライフに目を向けて、それがわかりやすい利益や目先の役に立つこととは異なる、もっと深い次元での生活の豊かさを実現していることに注目するのが、「迂回する経済」というわけである。
(つづく)
<プロフィール>
松岡秀樹(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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