日本経済の失われた35年①

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 NetIB-NEWSでは、政治経済学者の植草一秀氏のメルマガ記事を抜粋して紹介する。今回は「小泉・竹中路線が超緊縮財政を強行して日本経済を破壊した」と批判する4月7日付の記事を紹介する。

 昨日、4月6日、ISF(独立言論フォーラム)主催の〈トーク茶話会〉が開催された。参加くださった方に感謝を申し上げたい。2時間の予定が3時間になる充実した時間をすごせた。冒頭の1時間のプレゼン部分は後日公開されるとのこと。日本の失われた30年、バブル生成からの40年の経過を足早に解説させていただいた。これとは別に日本の刑事司法の重大な欠陥についても話させていただいた。

 日本でバブルが生成されたのは80年代後半。90年の到来と同時にバブル崩壊が始動した。バブルが生まれる契機は1985年9月の〈プラザ合意〉。NYマンハッタンにあるプラザホテルでG5蔵相・中央銀行総裁会議が開催された。ここで、主要通貨に対するドルの切り下げが決定された。ドル円は1985年の1ドル=260円から1987年の1ドル=125円へと暴落。円高によって日本の金利低下が進行。金利低下が日本の資産価格を押し上げた。

 円高=金利低下=資産価格上昇のメカニズムでバブル生成が始動した。米国がドル切り下げ政策を求めた背景は米国の双子の赤字。米国の財政収支と経常収支の赤字が激増。背景にレーガノミクスがあった。

 1981年にスタートしたレーガン政権が、1.金融引き締め、2.減税、3.規制緩和、4.歳出削減の方針を提示。歳出削減が実行されなかった一方で大規模減税が実行されて財政赤字が拡大した一方、金融引き締めでドル高が生じた。

 経常収支が悪化するのにドル高が進行。米国で保護主義の嵐が吹き荒れ始めた。レーガンは自由貿易を掲げていたため苦境に陥った。打開策として、人為的なドル切り下げ政策が選択された。しかし、ドル安政策推進によって新たな矛盾が生まれた。〈日本の突出〉だ。

 〈ジャパンマネーのオーバープレゼンス〉が問題になった。ジャパンマネーが席巻し、米国の代表的資産が次々に日本資本支配下に移行。88年大統領選でジョージ・ブッシュ父は〈強いドル・強いアメリカ〉をスローガンに掲げた。88年11月の大統領選を境に円高トレンドが円安トレンドに転換。日本の金融環境の逆流が始動した。

 私は89年2月に〈USC〉と題するプレゼンを行った。USCとは”Unrecognized Significant Crisis”の略。〈認識されていない重大な危機〉である。円高=金利低下=資産価格上昇のメカニズムが早晩、円安=金利上昇=資産価格下落のメカニズムに転換する。日本の金融環境が大逆流することを警告した。

 1990年の到来とともに逆流は始動した。私は『金融財政事情1990年2月19日号』にプレゼン内容の一部をまとめた論考を寄稿した。ブッシュ大統領の目論見通りに日本は円安進行で危機に直面した。他方、BIS(国際決済銀行)は日本の金融機関弱体化のための装置を埋め込んだ。自己資本比率規制だ。

※続きは4月7日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「日本経済の失われた35年①」で。


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