【加藤縄文道33】NHKEテレに見る通説の変化
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縄文アイヌ研究会
主宰 澤田健一 氏4月6日(日)にNHKEテレが放映した「サイエンスZERO 最新報告 古代DNAで迫る 日本人の来た道」を見ました。そして驚きました。
国立科学博物館の篠田謙一館長も神澤秀明研究主幹も、「日本人の先祖は南方から入ってきて、その子孫が縄文人と考えていたが、縄文人には北方の要素もある」という趣旨のことを言っていました。これまでは北方進入説をとっていて、それを学会の結論だとしていたと思うのですが見事な変わり身です。そうであっても南方説を説き始めたのは大きな前進です。
番組では旧石器人が、そのまま縄文人になったのではなく北東アジア人と混血して縄文人となったと解説していました。これまで日本民族は単一民族ではなく、雑種だと言ってきたから、そう誘導しているのではないかと勘ぐってしまいます。しかし、それは完全に誤りです。
(1)『縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史(PDF)』(東京大学・東京大学大学院・金沢大学)の指摘。
「現在のゲノム研究は、現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示している」
「IK002(注:縄文人骨)の系統は東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の“根”に位置するほど非常に古く、東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであった」
「縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統である」(2)旧石器時代の北東アジアにいたのは日本民族のご先祖さまたちです。北東アジアには旧石器時代を代表する遺跡がいくつもあります。そこから北海道で誕生した細石器が出てきますし、日本民族にしかつくれない石製品が出てきます。
番組の解説はこれらの研究結果や遺跡出土物の状況と完全に相反します。縄文人が東ユーラシアのなかでも飛び抜けて古い系統であり、東ユーラシア人の創始集団なのであれば、子孫の遺伝子が祖先の遺伝子に影響をおよぼすことなど不可能です。これらを踏まえて合理的に解説すると以下のようになると思います。
旧石器時代は最終氷期の時代であり、地球は物凄く寒かった。それでも日本民族は北海道にまで達していて北海道産の黒曜石で細石器をつくっていた。その人々は東ユーラシアにまで足をのばして、そこに多くの遺跡を遺した。最終氷期の北海道は大陸と陸続きになっていて犬ぞりに乗ればどこまでも行けた。そして、そこで東ユーラシア人(東アジア人、北東アジア人)の祖先集団となっていった。
日本の後期旧石器時代は2万2,000年も続いたので、日本列島に居続けた人々と大陸で暮らす人々は違う進化の道をたどった。気象条件や食べるものなどの生活環境が大きく異なれば2万年は十分な期間だろう。そして外に出て行った人々が何らかの理由で日本列島に戻ってきた。その人々はもともと同じ人々なのでスムーズに交わっていった。
こう考えればすべての条件を満たしながら合理的に説明が付くと思います。
ただし、北東アジアからの遺伝子混入は、弥生時代になってから本格的になることも付け加えておきます。
『パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造(PDF)』(金沢大学・富山県・鳥取大学・岡山理科大学・愛南町)
『全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴』(理化学研究所)この論文では弥生時代になって突然、北東アジアからの遺伝子混入が始まったように勘違いしそうですが、縄文時代から徐々に始まっていたと考える方が自然だと思います。そうすると、より大きな流れのなかで合理的に理解することができます。
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