2024年11月25日( 月 )

し烈さを増す寿命延長レース~125歳まで生きますか?それとも1000歳まで?(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

国際政治経済学者・参議院議員 浜田 和幸 氏
先進国の寿命は1日に5時間ずつ伸びる

 世界に先駆け、超高齢化社会に突入する日本。「1億総活躍社会」を実現するにも、カギは元気な身体だ。言うまでもなく、健康長寿は誰もが望むところである。そんな中、「サーチュイン遺伝子」が世界的な注目を集めるようになった。昨年には「NHKスペシャル:ネクストワールド」という番組でも、大きく取り上げられたものである。「先進国の寿命は1日5時間のペースで伸びている」とのこと。2045年には平均寿命は100歳を超えているに違いない。


 現在、話題集中の感のある「サーチュイン」であるが、細菌からヒトに至るまで、ほぼすべての生物の中に宿っており、栄養の変化や環境が及ぼす刺激に対応し、生物の生存を保証するパワーを秘めているようだ。いずれにせよ、新たな生物学上の発見が病理学的にも注目され、肥満や糖尿病の新しい創薬として実用化が期待されているのである。国民の7割近くが糖尿病というアラブ産油国では、特に需要が高まると思われる。


 こうした背景には、NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)と呼ばれる人間をはじめ全ての生き物の体内に存在している天然のタンパク質が人体の老化防止や寿命の制御に重要な役割を担っている可能性が徐々に明らかになってきたことが影響している。NHKが番組内で名前を出さずに開発、商品化の最先端を走る「オリエンタル酵母」を取り上げたため、放送翌日からは同社の株価が急騰することにもなった。


 実は、この分野での研究をリードしているのは日本人である。米国ワシントン大学の今井眞一郎教授らによる研究グループが、サーチュイン遺伝子について様々な実験を繰り返し、この遺伝子を活性化させることにより、人間の長寿命化が可能になるとの見通しを明らかにしたからである。その結果、世界中の人々がその実用化に期待を寄せるようになった。当然、各国の医薬品メーカーや食品企業、そして医療機関がこぞって関心を寄せているようだ。


 世界全体で見れば、このようなアンチエイジングのマーケットは約30兆円規模に膨らんでいる。60歳以上が全体に占める比率も現在は10%程度であるが、2050年までには22%に拡大することが確実視されているほどだ。こうした世界的な延命効果を可能としているのは、遺伝子や幹細胞研究をはじめナノテクノロジーを応用した予防医学に他ならない。
 そうした新しい医学の可能性に着目しているのは、医療関係機関や創薬メーカーだけではない。Googleは2012年に未来研究の第一人者で、小生もよく知るレイ・カッツウェル博士をヘッドハンティングし、「Googleベンチャーズ」と呼ばれるバイオ技術に関するベンチャー企業を立ち上げた。
 その一環として、1,000万ドルを投資し、創薬メーカーである「アディマブ」を買収したかと思えば、遺伝子研究の世界的権威であるボットステイン博士を中心に「カリコ」と呼ばれるプロジェクトを通じて、人間の寿命を限りなく伸ばす技術の研究開発に着手したのである。


 この種の延命ビジネスの最先端を走っているのは、イギリスのオックスフォード大学のオーブレイ・ドゥ・グレイ教授である。拙著『団塊世代のアンチエイジング』(光文社)でも詳しく紹介したが、同教授は、自ら「センス・リサーチ財団」を創設し、遺伝子研究を進める中で、自らの肉体を実験材料として使い、「最低でも1,000歳の寿命、可能性としては2000歳を目指す」と豪語している。
 そうした動きをGoogleは新たなビジネスチャンスとして捉え、ビッグデータの解析技術を最大限に活用し、人間の寿命をコントロールする究極のゴールを目指す方針を打ち上げたのである。「現在の平均余命を少なくとも20年、目標としては100年~200年は延命できるようにしたい」というわけだ。それを可能にする新薬の研究開発に取り組み始めたのである。


 一見すれば夢物語のように思われるかもしれないが、飛行機が100年前に発明される前には、誰も人が空を飛べるようになると想像しなかったであろう。また、思い起こせば、インターネットが日常生活にこれほど普及するようになる世界や、携帯やパソコンがこれほど進化する時代が来るとは、誰もが想像だにしなかったのではないか。

(つづく)

<プロフィール>
浜田 和幸(はまだ・かずゆき)
参議院議員。国際未来科学研究所主宰。国際政治経済学者。東京外国語大学中国科卒。米ジョージ・ワシントン大学政治学博士。新日本製鉄、米戦略国際問題研究所、米議会調査局等を経て、現職。2010年7月、参議院議員選挙・鳥取選挙区で初当選を果たした。11年6月、自民党を離党し無所属で総務大臣政務官に就任し、震災復興に尽力。外務大臣政務官、東日本大震災復興対策本部員も務めた。

 

関連記事