AIが解体する知能の価値と社会 その後に残される課題とは何か

作家 橘玲 氏

AI イメージ

 コンピュータが「計算機」だったように、AIは「予測マシン」として社会に深く入り込もうとしている。人間に残された仕事は「判断」だけ──そういわれる未来は、もはや遠い話ではない。AIが人間に代わって大量の変数を扱い、高精度の予測を実現するようになったとき、意思決定という行為すら機械に委ねる世界が現実味を帯びる。そこに待ち受けているのは、万能の利便性か、判断なき監視社会か。本稿では、AIの本質を「予測」と位置づけ、その進化がもたらす人間社会への衝撃を、技術・ビジネス・教育・倫理の視点から多角的に探る。

AI以前から変化を続ける「知能」のコスト構造

 生成AIが登場して、人間と区別できない、あるいは人間以上の応答をするようになったことで、社会が大きく変わるといわれている。実際、自然言語よりも構造がシンプルなプログラミングでは、コードの生成はAIに任せ、エンジニアの仕事は指示を出すだけになったという。日本では小学校からプログラミングが必修になったが、その子たちが大人になったころには、プログラマーという職業は存在していないかもしれない。

 AIの本質とはなんだろうか。ここではそれを「予測装置」と考えてみたい。

 コンピュータとは、突き詰めれば「計算機」だ。アルゴリズムはコンピュータと会話するための約束事で、それが複雑・高度化したことでたんなる算術計算を超え、ゲームからSNSまで社会を動かすさまざまな機能をもたせることができるようになった。

 経済学の基本である需要と供給の法則では、たくさんあるものは価格が安くなり、稀少なものは価格が高くなる。計算が安価になれば、もはや人間が算盤や電卓で計算する必要はなくなる。こうして商店のレジは金額を打ち込むのではなく、バーコードをスキャンするだけになった。

 計算は人間の知能の一部で、それをコンピュータにアウトソースできれば、計算に投じていたリソース(資源)を他のことに使えるようになる。計算の価格が下落すれば、コンピュータ(計算機)では代替できない知能の他の要素の価値が上昇するはずだ。

 知能を「記憶・計算・予測・意思決定」に分解すると、ハードディスクがデータを無尽蔵に記憶し、計算が安価に供給されるようになったことで、予測と意思決定の重要性が増す。ここまでがAI前夜(おおよそ2015年まで)に起きたことだ。

 AIの真のイノベーションは、ビッグデータからの予測を可能にしたことだ。予測は情報が欠けている部分を埋め合わせていくプロセスで、データから機械学習するAIは「なにが原因なのか」「次になにが起きるのか」という欠落した情報を発見できるようになった。

ホームセンターで起きた“説明できない”現象

 AIがやっていることを簡単にいえば、ビッグデータを使って「A□C」の文字列からBを予測し、データの欠落を埋めることだ。こうした予測には、これまで統計学が使われてきた。

 統計学的手法は、回帰分析によって(変数が限られている場合は)強力な予測を提供できるものの、分析の対象が複雑になるにつれて精度が落ちる。データサイエンスのトーナメントでは、2010年代に機械学習の予測が回帰モデルを大きく上回るようになった。

 AIでしか発見できない相関関係として、ここでは日本における社会物理学の第一人者・矢野和男氏がホームセンターで行った実験を紹介しよう(『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』草思社、2014)。

 矢野氏はホームセンターの商品棚などに赤外線による場所情報の発信器(ビーコン)を2~3mおきに設置したうえで、従業員や顧客に名刺型のセンサーを装着してもらった。これによって店内の人間の動きが詳細に把握できるので、10日間のビッグデータを集めたうえでそれをAIに分析させた。

 この実験でAIが顧客単価に影響がある要因として見つけ出したのは、奇妙なことに、店内のある特定の場所に従業員がいることだった。この「高感度スポット」に従業員がたった10秒滞在時間を増やすごとに、そのときに店内にいる顧客の購買金額が平均145円も増えたのだ。

 しかしこれは、たんなる偶然かもしれない。そこで矢野氏は、この結果を検証するために、AIが発見した高感度スポットになるべく多くの時間いてもらうよう従業員に依頼した。すると、滞在時間が1.7倍増えたことで店全体の顧客単価が15%も向上したのだ。これは営業利益率5%分に相当し、日本の流通業界の平均的な営業利益率は5%程度なので、利益が倍増したことになる。

相関関係を発見する力 大規模言語モデルの威力

 AIが予測するのは相関関係だけなので、「高感度スポットに従業員が滞在すると、なぜ顧客単価が増えるのか」の因果関係は教えてくれない。考えられるのは、ある特定の場所に従業員がいることで店内の客の流れが変わり、それまで閑散としていた単価の高い商品の棚での客の滞在時間が増えたということだ。

 だがAIが指定した高感度スポットは、単価の高い商品の棚からは遠く離れていた。なぜそこに従業員がいると、客の流れが変わるのかはよくわからない。また、その高感度スポットに従業員がいることにより、従業員や客の身体運動の活発度も向上したのだが、そのことを説明するのはさらに難しい。

 このホームセンターでの実験をさらに詳細に調べると、より興味深いことがわかった。高感度スポットに従業員がいることで店内の客の流れが変わっただけでなく、接客時間が全般に増えたのだ。

 ところが、顧客が接客された時間の長短は、その顧客自身の購買金額には直接相関していなかった(統計的な有意性がなかった)。しかし、店内で自分以外のまわりの人たちが接客を受けている場面が多くなると、それを見た顧客の購買金額が増える効果があった。

 これまで接客は、顧客が知りたい情報を与えて購買に結びつけるという直接の効果だけが強調されてきた。だがこの結果は、他の顧客と従業員が活発にやりとりしているのを見ることで賑わいを感じるという間接的な効果のほうが、売上に大きな影響があることを示唆している。

 このように、人間には決して見つけられない相関関係を発見する能力がAIにはある。LLM(大規模言語モデル)は、要素同士が互いに影響を与え合う複雑系の背後にあるパターンや法則性を予測するのだ。

残される“判断”の世界 3つの可能性

 AIは膨大な変数同士を予想外の方法で組み合わせ、人間には発見不可能な相関関係を見つけ出し、予測の精度を大きく向上させた。このとき重要なのは、「予測マシンは判断を提供しない」ことだ。人間だけが、異なる行動をとった場合に得られる報酬の違いを相対的に比較できる。コンピュータが計算を代替したように、AIが予測を代替するようになれば、人間に残された役割は意思決定=判断だけになる。

 このような未来では、いったいなにが起きるのだろうか。これには3つの可能性がある。

 1つ目は、タスクのなかで予測の価値が下がり、判断の価値が上がることで、組織内で意思決定を行う者に権力が集中する未来。その究極の姿は、AIを搭載したロボットがほとんどの仕事をこなし、ごく少数の意思決定者が世界を支配するSF的なディストピアだろう。

 2つ目は、これとは逆に、優れた予測がスピーディーかつ安上がりに提供されるようになるほど、私たちは多くの決断を下すようになるという未来。ビジネスから人間関係まで、あらゆる選択に対してAIがビッグデータから最適な予測をしてくれれば、私たちはそのなかから、仕事上の決断(どのプロジェクトを進め、どれを中止するか)だけでなく、どのレストランに行ってなにを注文し、誰とデートし、何人子どもをつくるかも簡単に判断できるようになる。いわば「意思決定の民主化」で、これはこれで別の種類のディストピアに思える。

 3つ目は、予測の精度が上がるにつれて意思決定をしなくなること。判断をコード化したうえで、予測を実行する前の段階で機械にプログラムとして組み込むこともできるし、AIはフィードバックを通じて人間の判断を予測する方法を学習できる。

 ネットで商品を購入する場合、私たちはさまざまな選択肢を比較し(自分が満足するかを予測し)、どれを買うかを決めた後で配送してもらう。

 だが個人のビッグデータが集まると、AIはあなたが何を購入するかをあらかじめ予測し、それを一方的に配送するようになるかもしれない(冬には保湿用の化粧品を、夏には新しい水着を送ってくる)。あなたは商品が届いた後に、それを購入するか、無料で返品するかを決めればいいのだ。

 SF的な未来ではあるが、これが洗練されれば、私たちはもはや判断することすらなくなるだろう。食品、医薬品から衣料まで、その日に必要なモノが毎朝、ドローンによってドアの前まで運ばれてくるのだ。―これがユートピアかディストピアかは判断が分かれそうだ。

予測の個別化が生むユーザー単位の広告

 コンピュータが人間の能力をはるかに超える計算能力をもつように、AIの予測精度が指数関数的に上がっていくことは間違いない。

 テレビCMや新聞・雑誌広告のような従来のマーケティングには、「すべての人に同じ行動を求め、すべての人を同じであるかのように扱う」という制約があった。クライアントにできることは、「どの媒体に広告を出すのが効果的か」という予測だけだったが、ほとんどの場合、この予測を検証する方法がなかった。

 だが個人を対象に予測を行うことができれば、ルールは根本から変わる。そしてこれをAIが可能にした。

 ラジオはすべてのリスナーに同じ曲を流すが、ストリーミングの音楽サービスなら、特定の個人向けのプレイリストをAIにつくらせることができる。研究によれば、提供する広告の数を個別化すれば、利益が大幅に増加するという。どの顧客は広告の数を減らすと音楽を聴く時間が増えるのか、誰が有料バージョンへの切り替えに興味をもつのかをAIが予測したからだ。

 だがAIを活用したこのシステムは、テレビやラジオのような番組単位でCMを販売する従来のネットワークシステムではうまく導入できない。それに対して、ユーザー単位でどの広告をどの程度表示するかを調整できるYouTubeシステムなら、はるかに役に立つだろう。このようにして「メディアの王者」だったテレビは凋落し、SNSにとって代わられつつある。

 教育も同じで、学習指導要領に沿ってクラスの生徒に同じカリキュラムを教えるいまの学校では、AIを導入してもできることは限られている。個別相談やグループプロジェクト、教師による個別指導などを取り入れ、従来とは異なる研修を受けたチューターや教師が柔軟なサポートをすれば、教育だけでなく生徒個人の成長にも、AIははるかに大きな影響力を発揮するだろう。

学校的社会の崩壊と個人化された社会へ

 さらに考えてみると、学校というのは、同じ地域に住む同年齢の子どもたちを強制的に1つの施設に「収容」し、訓育(訓練と教育)する特殊な権力行使だ。

 軍隊や工場は、見ず知らずの他人を集めてチームをつくり、規律ある行動をとらせることで大きなちからを発揮する。ムラ社会だった日本はこの(前期)近代システムに過剰適応して、同期や先輩・後輩の“絆”によって軍隊や会社を効率的に運営することで世界を席捲した。

 ところが社会が流動化すると、この硬直した制度がうまく機能しなくなってくる。

 デジタルネイティブの子どもたちにとって、不愉快な相手をブロックし、好きな相手とつながるのは当たり前だろう。ところが学校では、たまたま一緒のクラスになった子どもと「友達」になるよう強要される。

 しかしこれでは、「なぜ隣の席にいるいじめっ子をブロックしちゃいけないの?」「違う学校(あるいは海外)にいる子となぜつながっちゃいけないの?」という子どもの疑問に答えることはできない。こうして日本でも世界でも、不登校が増えているのだろう。

 このやっかいな問題も、AIによる個別化によって解決可能だ。子どもたちはそれぞれの適性や学習進度によって1人ひとり異なる教材で勉強し、学校はチームスポーツやディベート、文化祭のような人間関係・協力行動を学ぶ場所になっていくかもしれない。

既存社会解体後に「富の問題」が残る

 これまで画一的な教育や文化によって「抑圧」されていた人たちにとっては、これは大きな朗報だろう。私はリベラル化を「自分らしく生きることはすばらしい」という価値観の変化と定義しているが、学校にしても、会社にしても、「自分らしさ」を発揮させない前期近代的な制度は嫌われ、解体していくことは間違いない。

 これは社会全体としてはよいことだろうが、テクノロジーによるこの大きな変化に適応できる者と、そうでない者との間に大きな「格差」が生じることは避けられない。AIによって爆発的に生産性が向上し、とてつもない富が創造される可能性があるが、問題はその富が平等に分配される保証がないことだ。

 だとすれば個人にできることは、「予測装置」としてのAIの本質を理解したうえで、「富の分配」を受ける側になるよう努力することではないだろうか。

参考文献:アジェイ・アグラワル、ジョシュア・ガンズ、アヴィ・ゴールドファーブ『予測マシンの世紀 AIが駆動する新たな経済』小坂恵理訳/早川書房


<PROFILE>
橘玲
(たちばな・あきら)
2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部を超えるベストセラーに。06年『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。

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