「心」の雑学(16)動物も錯覚している?~錯視から動物の見る世界をのぞく~

「錯視」というツールの有用性

 前回の記事では、視覚の錯覚である「錯視」という現象と心理学の関係について紹介した。大学の心理学部を経た人なら必ず目にしたであろう、ミュラーリヤー錯視1を例に挙げ、「なぜ錯視が心理学のテーマになるのか」を掘り下げた。とくに、心理学の祖先の1つである精神物理学の観点から、客観(物理)的な世界と普段私たちが見ている主観的な世界は必ずしも一致しないという事実、そして、その不一致(錯視)を生じさせている要因に心を仮定できるという発想が重要であった。では、これらを踏まえたうえで、今回も引き続き錯視を掘り下げていこう。

ミュラーリヤー錯視の参考画像
ミュラーリヤー錯視の参考画像

 錯視にはミュラーリヤー錯視をはじめ、ポンゾ錯視やエビングハウス錯視、カニッツァ錯視など、たくさんの種類の錯視が存在する2。このような「◯◯錯視」という現象が確立されることは、科学的な研究を行ううえで、非常に重要である。たとえば、ミュラーリヤー錯視の図形をもって、世界中の人たちに見せて回ったとしよう。そして、自然豊かな農村地域で生活する人々よりも、都市化した町のなかで生活する人々のほうが強い錯視が起きていた、という結果が得られたとする。この場合、ミュラーリヤー錯視は近代建築での生活の影響を受けているのでは、といった観点で、錯視の文化差について科学的に検討することが可能になる3

 こうした観点をもてば、もちろん文化差以外の錯視の研究も可能である。たとえば、人はいつからミュラーリヤー錯視が見られるようになるのか、錯視の効果は人の年齢にかかわらず安定しているのか、などといった疑問を解き明かすこともできる。そうなってくると、さらに野心的な問いが浮かばないだろうか?たとえば、ヒト以外の動物では錯視が見られるのか、と。

動物で錯視を調べられるのか

 「動物でも錯視は起こっているのか」という問いはわくわくするものだが、これに答えるためには、1つ重要な問題がある。それは、どうやって動物が錯覚しているかどうかを判定するのか、ということだ。今のところ、私たちはときに動物と触れ合うことはできても、会話をすることはできない。つまり、図形を見せてどちらが長いかを尋ねることもできなければ、何か言葉で回答してもらうこともできない。

 であれば、反応から推察する方法はどうだろうか。たとえば、落とし穴を書いたトリックアートのカーペットを床に敷いて、ペットの反応をチェックする動画や記事を見たことがないだろうか。このようなケースで動物たちが落とし穴を回避するように振る舞えば、彼らに錯覚が起きているとみなすことができるかもしれない。しかし、これは恐怖心を煽るような錯覚を対象にすることで成立するものであり、ミュラーリヤー錯視のような幾何学図形ではそのような反応は期待できない。こうした状況で、言葉を使えない動物であっても、ミュラーリヤー図形のような錯視を検証できるのだろうか。

 もちろん、動物に対しても心理学的な研究方法がある。ここでカギになるのが、動物に「学習」させて、「行動」で答えてもらうという発想だ。たとえば、サルにまず練習として、矢羽ではなく垂直線がついた2つの直線を見せてみる。このとき、サルが長いほうの直線を選んだら、餌(報酬)を与える。こうすることで、「長い線を選ぶと良いことがある」というルールを覚えてもらう。この訓練後に、テストとして矢羽根付きの錯視図形を呈示する。彼らは長い直線を選ぶと餌がもらえることを知っているので、ミュラーリヤー図形を見せられた場合でも、長い(ように見える)図形を選ぶはずである。ヒトと同じように外向きの矢羽根の図形を「長い」と錯覚していれば、サルでも錯視が生じていると判断することができる。

動物での錯視研究のイメージ図
動物での錯視研究のイメージ図

 この回答(図形の選択)の仕方を動物ごとに合わせれば、ほかの動物でも同じように検討ができる。ハトならタッチパネルをくちばしで突き、魚なら二股水槽を泳ぎ分けることで、語らずして動物が回答を選べる。こうした工夫によって、心理学者4は錯視を動物共通の「研究ツール」として活用することを可能にしているのである。

動物たちのミュラーリヤー錯視

 動物を対象にしても、錯視を研究できる方法があることがわかった。では、動物たちにミュラーリヤー図形を見せると、どのような反応が得られるのだろうか。まず、比較的ヒトに近しい霊長類では、オマキザル5やアカゲザル6でヒトと同様の錯視が見られることが報告されている。従って、霊長類も奥行きの手がかりを用いて、2次元の視覚像を立体的に補正して世界を見ている可能性があるといえる。

 では、ほかの動物種ではどうだろう。鳥類では、ハト7やヨウム8、魚類ではメダカ9やグッピー10でミュラーリヤー錯視が見られたという報告がある。空や水などヒトと生活様式が大きく異なる種であっても、奥行きの錯覚が起きている可能性があるようだ。少し特殊な手法を用いた研究ではあるのだが、ハエでもミュラーリヤー錯視が起きている可能性を検証したものもある11。錯覚の強さには種差があるのだが、驚くことに、ヒト以外の動物においても、ミュラーリヤー錯視が生じていることが示唆されている12

 錯視は、私たちに心の存在を仮定させてくれる重要な研究ツールである。それゆえ、ヒト以外の動物においても錯視が起きていることが示唆されたのは、非常に興味深い。ただし、1種類の錯視研究の結果から、その動物の心の存在を結論づけることできない。この点にはくれぐれも注意が必要だ。それでも、こうした共通のツールを用いた比較を行うことは、ヒトや心を理解するための多くの手がかりを与えてくれる。1つの図形と錯視だけでも、非常に多くのことがわかる。ほかの錯視も組み合わせれば、その動物がどのようにして視覚的な世界を見ているのかに迫ることもできる。錯覚は心理学的に奥深い、面白いテーマなのだ。さて、いかがだっただろうか。この感覚が私だけの錯覚ではないかどうかは、お読みいただいた皆さんの感想にかかっている…。

1  同じ長さの2つの直線が、内向きと外向きの矢羽がついた状態で並ぶと、長さが異なって見える錯覚のこと。参考画像では、外向き矢羽の図形Bの方がAよりも長く見える。
2  ここではそれぞれを紹介することができないが、たとえばNTTのIllusion Forumなどを見ると、いろいろな錯視に触れることができる。
3  このような観点での文化差研究は古くから行われている。たとえば、Segall, M. H., Campbell, D. T., & Herskovits, M. J. (1963). Cultural differences in the perception of geometric illusions. Science, 139(3556), 769–771.
4  こうした分野は比較心理学と呼ばれる。
5  Suganuma, E., et al. (2007). Perception of the Müller-Lyer illusion in capuchin monkeys (Cebus apella). Behavioural Brain Research, 182(1), 67–72.
6  Tudusciuc, O., & Nieder, A. (2010). Comparison of length judgments and the Mueller-Lyer illusion in monkeys and humans. Experimental Brain Research, 207(3-4), 221–231.
7  Nakamura, N., et al. (2006). Perception of the standard and the reversed Müller-Lyer figures in pigeons (Columba livia) and humans (Homo sapiens). Journal of Comparative Psychology, 120, 252-261.
8  Pepperberg, I. M., Vicinay, J., & Cavanagh, P. (2008). Processing of the Müller-Lyer Illusion by a Grey Parrot (Psittacus Erithacus). Perception, 27, 827-838.
9  Sovrano, V. A., da Pos, O., & Albertazzi, L. (2016). TheMüller-Lyer illusion in the teleost fish Xenotoca eiseni. Animal Cognition, 19(1), 123–132.
10 Santacà, M., & Agrillo, C. (2020). Perception of the Müller-Lyer illusion in guppies. Current Zoology, 66(2), 205–213.
11 Geiger, G., & Poggio, T. (1975). The Mueller-Lyer figure and the fly. Science, 190, 479-480.
12 ちなみに、コモリザメなど、ミュラーリヤー錯視が見られない動物種も報告されている。動物でも錯視は見られるが、すべての動物で見られるわけではないことを強調しておく。


<プロフィール>
須藤竜之介
(すどう・りゅうのすけ)
須藤 竜之介1989年東京都生まれ、明治学院大学、九州大学大学院システム生命科学府一貫制博士課程修了(システム生命科学博士)。専門は社会心理学や道徳心理学。環境や文脈が道徳判断に与える影響や、地域文化の持続可能性に関する研究などを行う。現職は人間環境大学総合環境学部環境情報学科講師。

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