料亭(6)福岡では時代の遺物

中洲1丁目の料亭「満佐」
中洲1丁目の料亭「満佐」

ビジネスは終わり

 まず結論から下そう。福岡においては「料亭」という事業は終わった。もう市場はない。全国で残れるのは東京と京都だけであろう。シリーズ4の記事で、「料亭」の定義を説明した。歴史的にいえば料亭とは日本食を食べることばかりをいうのではない。日本文化の集大成として成立してきたと定義される。その日本文化の集大成(芸者踊り・文化、茶道、焼き物類の選択、美術)を堪能するお客がいなくなったという厳然たる事実がある。スポンサーは財界人。福岡において文化の香りを理解する財界人は皆無となった。

 色恋の機会もなくなった。開店休業状態になった中央区にある料亭の女将は銀行幹部の後押しで生き延びてこられた。博多券番の責任者が昔を懐かしむ。「九電のあの社長のときはたくさん、贔屓にしてくれた」と回顧する。「じゃあ、どうするのか?」と問いただしても彼女たちに解決する能力がないのは自明のことである。評論家的な批評で申し訳ないのだが、ただ一言。「時代の波に乗り遅れた」と結論づける。現在、利用者は新聞すら読まずにほかの手段で情報収集して満足しているのだ。それと同様に「料亭に行く必要がなくなった」から淘汰されたという結論になるが、もう少し表現を変えれば「料亭で遊べる方々がいなくなった」(お客さん瓦解)からビジネスが消滅してしまったのである。料亭を支えてきた日本文化のなかで芸者踊り=「博多をどり」に関しては商工会議所などが保存支援を行っている。

現況のビジネス

中洲1丁目の料亭「満佐」
中洲1丁目の料亭「満佐」

    現実、芸妓さんを毎日、指名するような元気な料亭は今、存在していない。調べてみると料亭の看板を掲げて女将が必死でお客の開拓をしているところは1店しか残ってないと思われる。2店ぐらいが「開けたり閉めたり」の現状である。数年のうちに料亭の看板(芸妓利用)の店はゼロになるであろう。では芸妓さんたちは今後どんな仕事があるのか。それは高級和食の店からの唯一、派遣要請が残っている。桜坂にある高級和食店は月に2~3度、芸妓要望のオーダーがあるとか。中洲のある店は年1回とか。断っておくが現実、高級和食店を「料亭」と呼ぶこともある。また、ある高級水炊き店なども「料亭」と呼ばれて認知されているところもあるのだ。

結末、悲喜交々

 『老松』、『三光園』みたいに廃業しても不動産売却で一族それぞれ5億円を握るケースも珍しくない。最大級は1,000坪×1,000万円=100億円、この100億円に迫る金額を兄弟4名で山分けすることを心待ちしているところもある。一般倒産と同様にすべての資産を売却しても負債整理が追いつかない悲惨な例もある。結末、悲喜交々。

 しかし日本文化も劣化したものである。1,000年前、京都の貴族世界では紫式部らの女性文人が闊歩していた。和歌で「ラブレター」を綴り、恋人口説きを行ってきたのである。その伝統が料亭に伝わり、残っていたのが、45年前の1980年位までか(福岡において)。料亭文化を堪能して「男・女」関係に発展していく。日本人は優雅なものであった。ところが現実の「男・女」関係の発展はさもしい一言である。

(了)

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