竹原信一緊急寄稿(2)沈黙の文明における七つの欺瞞~竹原流「七つの社会的罪」

阿久根市議会議員 竹原信一

 中央政界が新たな転換点を迎え、政治構造が大きく揺らいでいる。そんななか、かつて鹿児島県阿久根市政を刷新し、地方から政治のあり方を問い続けた竹原信一氏から緊急寄稿を頂いた。

 日本の民主主義の在り方に大きな疑問符を投げかけてきた異色の元市長が、中央政界の激変に直面した日本国民に向けたメッセージを、連載してお届けする。

 文明とは、人間が人間らしく生きるための秩序のはずだった。だが現代日本において、それは服従と沈黙を美徳とする構造へと変わった。形式を守るために誠実が殺され、秩序を保つために真実が葬られていく。かつてガンジーは「七つの社会的罪」を挙げ、文明の病根を暴いた。それは今日の日本社会にもそのまま当てはまる。ここに私は、それを現代の日本的現実として読み替え、沈黙の文明を支える七つの欺瞞(ぎまん)として記す。

一 理念なき政治

 政治は理念の名を借りた空虚な取引となった。議場では信念よりも均衡が尊ばれ、真実を語る者は「協調を乱す者」として排除される。原則は語られるが、実際には守られない。理念なき政治とは、沈黙を制度化した権力である。

二 汗なき富

 努力は形だけの儀礼となり、労働は現場から離れた者ほど高く評価される。働かぬ者が支配し、働く者が搾取される社会では、富はもはや価値の証ではなく、腐敗の指標である。

三 恥なき快楽

 笑いはもはや風刺ではなく、逃避のための薬になった。社会は退屈と恐怖を紛らわせるために、低俗さを「文化」と呼ぶようになった。恥を忘れた快楽は、人間を慰めるどころか、魂を麻痺させる毒となる。

四 人格なき知識

 知識は今や、思想ではなく手段である。教育は「考える力」を奪い、「従う技術」を教える場所になった。知識に人格が伴わなければ、それは支配の道具にすぎない。真理を探る知ではなく、権力を飾る知がこの国を覆っている。

五 倫理なき商業

 経済は正義の外側で回っている。誠実は非効率として排除され、成功は良心を捨てることで達成される。儲かることと正しいことが切り離された社会では、金は血よりも濃く、倫理は装飾に過ぎない。

六 人間性なき科学

 科学は人間を救う道具ではなく、管理と効率のための兵器になった。AIも原子力も、思想を欠けば暴力と同じだ。技術が進化しても、目的が空虚なら、それは破壊を洗練させただけの野蛮である。

七 犠牲なき信仰

 信仰は祈りの形式だけを残し、真理への苦悩を失った。国家への忠誠も、宗教への信仰も、犠牲を伴わぬとき、それはただの従順である。信仰とは、都合の良い安心ではなく、不都合な真実に立ち向かう覚悟である。

結語 ─沈黙を破る勇気─

 これらの七つの罪は、誰かの悪意によってではなく、私たち自身の怠惰と沈黙によって育てられた。それゆえに、最も危険であり、最も見えにくい。日本社会の病は、外から来たものではない。それは「何も言わないこと」「何も疑わないこと」から始まっている。沈黙を破ることは、敵を作ることではない。それは、自分の中の欺瞞と向き合う行為である。ガンジーの七つの罪は、今や私たちの中で八つ目──「沈黙そのもの」を生み出した。その沈黙を破るとき、初めて文明は再び人間の手に戻る。

(つづく)

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